江島大佑選手(水泳)

江島大佑選手(水泳)

独自のスタイルで、道なき道を突き進む。

突然の出来事からパラ水泳の世界に飛び込んだ江島大佑が、いかにパラ水泳界の先駆者になったのか? 前例がないからこその苦悩、喜び、そして集大成となる東京パラリンピックへ、その競技人生と思いを語る。

自ら道を切り開き活躍するパラ水泳界の第一人者・江島大佑。元々は水泳でオリンピック出場を夢見る少年だった。ところが、ある日を境に状況が一変する。

「中学1年生の時に、練習中にプールサイドで突然倒れて、目が覚めたら左半身が動かなくなっていました。脳梗塞でした。水泳の選手コースの中でも一番上のクラスになってこれからという矢先でしたから、『なんで僕だけ』という絶望感がありましたね。その後、リハビリを続ける中、たまたまテレビでシドニーパラリンピックを放送しているのを見て、その時初めてパラスポーツがあり、パラリンピックがあるということを知りました。水泳を半ば諦めていましたが心の底のどこかではまた水泳がしたいと思っていたので、自分もパラ水泳だったらできると思い、始めることにしました」

水泳からパラ水泳への転向。アドバンテージがあるようにも思えるが、実際はそんな簡単なものではなかった。

「障がいを負ってから実際に泳いでみたら、全然違いましたね。右半身は普通ですが、左半身が動かないのでバランスが取りにくいとか、昔とのイメージのギャップに戸惑いました。泳ぎを昔のイメージに近づけよう、近づけようとしてしまい、3年程悩みました。結果的には、片麻痺の江島のオリジナルの泳ぎを作るしかないと思い至りました」

水泳では速く泳ぐためのセオリーが確立されている。一方、パラ水泳では、自らの障がいに合わせた最適な泳ぎを探求する。そこにもパラ水泳の魅力がある。

「今の片麻痺のスイマーは僕を参考にしてくれている方もいるそうなのですが、当時は片麻痺のスイマーは日本におらず、世界でも数人でした。0から泳ぎを作り上げていくしかありませんでしたね。僕は背泳ぎの場合、あえて右の方にバランスの比重を置くなど、言葉では上手く言い表せないのですが感覚でバランスを保っています。僕に限らず、パラ水泳は十人十色。例えば両腕のない選手が足のキック力だけで僕より速く泳いでいたり、自分の想像を超えるパフォーマンスを見られるのがすごいと思いますし、面白いですね」

独自の泳ぎに取り組みながら、ʼ04年アテネでパラリンピック初出場。4×50mメドレーリレーで銀メダルを獲得する。その後、北京、ロンドンにも出場した。

「パラリンピックがどういうものかよく分からず、ただすごい舞台だろうなと思い実際アテネに行ったら、本当にすごかったです(笑)。スタッフが全面的にサポートしてくれ、パラリンピック選手をオリンピック選手と同じように扱ってくれていることが一番の驚きでした。特にロンドンはイギリスがパラリンピック発祥の国ということもあってパラリンピック選手をリスペクトしてくれて、どの国よりも進んでいると感じましたね。それと同時にメダル獲得の重要性も分かりました。アテネ大会では出発する際、日本でのパラリンピック認知度の低さを感じていましたが、銀メダルを獲得して帰国した時は“メダリスト・江島大佑”として大きく扱ってもらえました。でも4年後、北京の時に4位でメダルを獲得できず帰国した際は、一切メディアでも取り上げられず(笑)。やっぱりメダルを獲得しなければいけないんだなって実感しましたね」

リオも出場権を獲得していたが、体調不良で辞退。東京が競技人生の集大成になると考える。

「ベテランと呼ばれるようになって、昔みたいにとにかく泳げば泳いだ分だけ筋肉がつくという感じではなくなっています。今は、抵抗を減らすなどの効率のいい泳ぎ方を追及したり、無駄をなくす引き算の考え方で練習に取り組んでいます。東京パラリンピックは出場することはもちろん、同時に決勝に出て戦えないとダメだと思っています。一番の目標としては、メダルを獲って注目されることです」

泳ぎ方を自ら考え、プロスイマーとして活動するなど、パイオニアだからこそメダルへの思いはより強いものになっている。

「厳しい言い方ですが、今の選手たちは競技を始めた頃から国や学校の援助がありメディアに取り上げてもらい、大きな苦労を知りません。まったく注目されなかった頃からの僕たちベテラン勢の地道な活動が、今の日本のパラ水泳につながっているという思いが自分にはあります。パラ水泳を認知してもらえる最高の舞台が東京パラリンピックなので、メダルを獲って最高の宣伝をして次の世代につなげるのが僕の役割だと思っています」

数々の試練を克服してきた江島にとって、東京パラリンピックが自らの泳ぎでパラ水泳を知らしめる最高の舞台になる。

【TVガイドからQuestion】

Q1 印象に残っているスポーツ名場面を教えて!

’04年のサッカーアジアカップ準々決勝、日本対ヨルダンがPK戦までもつれ、日本が2人連続で失敗してしまって絶体絶命でした。そこからGKの川口能活選手がスーパーセーブを連続で決めて大逆転。すごく感動しましたね。

Q2 好きな音楽を教えて!

B’zが中学生の時から好きで、特に「ねがい」という曲の歌詞に共感してしまいますね。あと、竹原ピストルさんの「どーん!とやってこい、ダイスケ!」は、僕もダイスケなので、自分に言われているような気がします(笑)。

Q3 “2020”にちなんで、大会の“20”時間前から競技開始までの過ごし方を教えて!

競技スタートが午後6時だとしたら、朝起きて熱いシャワーで血行を良くして、早めに会場入りしますね。リラックスしたいので、ストレッチしたりゆっくり過ごして、競技のスイッチが入るのはプールサイドに入場する時です。

パラリンピック水泳とは?


使用するプール、泳法(自由形、背泳ぎ、バタフライ、平泳ぎ)はオリンピック水泳と同じ。ルールも基本同じだが、障がいに対応するためにスタートやタップの仕方などが一部変更されている。また、競技の公平性を保つため、障がいの種類や程度によってクラス分けが行われ、クラスごとに順位を競う。選手の障がいによって最適な泳ぎ方も異なり、それぞれの選手が独自に速く泳ぐことを追及しているため、選手ごとのオリジナルの泳ぎも見どころになる。

【プロフィール】


江島大佑(えじま だいすけ)
1986年1月13日京都生まれ。山羊座。A型。

▶︎株式会社シグマクシス所属。3歳から水泳を始める。12歳の時に脳梗塞で倒れ、左半身に麻痺が残る。「両親や水泳仲間、クラスメートが変わらず接してくれたのが支えになりました」と語り、辛いリハビリを乗り越え、パラ水泳を始める。
▶︎’02年の世界選手権では、当時世界一のリンゼイ・アンドリュー(イギリス)に、「ぼっこぼこにされました(笑)」と言うほどの大差で敗れ、悔しさをバネに一念発起。さらに競技に打ち込む。
▶︎’04年アテネパラリンピックでは4×50mメドレーリレーで銀メダルを獲得。’06年には50m背泳ぎで世界記録を樹立。世界のトップスイマーとして活躍し続けている。
▶︎現在はプロスイマーとして活動しており、「エジパラ」と呼ばれる合宿を開催。後輩たちの強化、育成にも取り組んでいる。

【プレゼント】


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取材・文/山木敦 撮影/山本絢子

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