サイ・ヤング賞の初代受賞者・ニューカムが92歳で死去

ドジャースの球団史におけるベストの投手の1人であり、ジャッキー・ロビンソンやロイ・キャンパネラとともにブルックリン時代のドジャースを象徴するスター選手の1人でもあったドン・ニューカムが、長い闘病生活の末、日本時間2月20日に亡くなった。92歳だった。

1949年にドジャースでメジャーデビューを果たしたニューカムは、いきなり5完封を含む17勝をマークしてナ・リーグの新人王に選出。翌1950年は19勝、1951年は自身初の20勝とリーグ最多の164奪三振をマークし、2年間の兵役を終えてドジャースに戻ったあと、1955年には自身2度目の20勝をマークした。

キャリアハイのシーズンは1956年で、自己最多の27勝をマーク。この年に設立されたサイ・ヤング賞(当時はメジャー全体で1名を選出)の初代受賞者となっただけでなく、ナ・リーグのMVPにも選出された。その後は成績を落とし、1958年途中にレッズへ放出されたものの、レッズ加入2年目の1959年には13勝、17完投をマークして復活。この年は代打で31度も起用されるなど、打率.305、3本塁打、21打点、OPS.811と打撃でも存在感を発揮した。

メジャーでのラストイヤーとなった1960年はインディアンスで2勝に終わり、メジャー通算成績は149勝90敗、防御率3.56、1129奪三振。1949年の新人王、1956年のMVP&サイ・ヤング賞のほか、オールスター・ゲームには4度(1949~1951年、1955年)選出され、1955年にはワールドシリーズ制覇も経験している。

1955年に打率.359、7本塁打、23打点、OPS1.028、1958年にも打率.361をマークするなど、打者としても優秀で、1962年に中日ドラゴンズに入団した際は登録名「ニューク」で外野手としての契約だった(1試合だけ投手としての出場がある)。中日では1年のみのプレイに終わり、81試合に出場して打率.262、12本塁打、43打点、OPS.789という成績だった。

メジャー初の黒人投手であり、ロビンソン、キャンパネラ、ラリー・ドビーとともに黒人選手として初めてオールスター・ゲームに出場したニューカムは、通算成績以上のインパクトを球界に与えた名選手だった。

© MLB Advanced Media, LP.