〝燃える闘魂〟の行方 猪木、小沢両氏「訪朝団」の現実味?

1989年7月、参院選で当選を果たしガッツポーズするスポーツ平和党の党首(当時)のアントニオ猪木氏 右は2019年2月21日会見した猪木氏と小沢一郎氏

 「元気ですか~?」「元気があれば会派も組める!」。恒例のテーマソング、赤いマフラー姿で登場した参院議員のアントニオ猪木氏は2月21日、都内のホテルで記者会見して、国民民主党会派入りすることを表明した。左右の席には国民党の玉木雄一郎代表、国民と統一会派を組む自由党の小沢一郎共同代表。猪木氏のパフォーマンスにほほ笑みながら、集まった政治部やスポーツ紙の記者たちの反応を見守った。今夏の参院選で改選を迎え〝身の振り方〟について問われると猪木氏は「一寸先はハプニングだ。先の話は次にしたい」。一方で、今年の北朝鮮訪問について「今まで私一人でやっても独り相撲。小沢先生が来ていただけるならそういう機会をつくりたい」「できるだけ早い時期に行きたい」と前向きな表現で語った。記者とのやりとりで小沢氏は「(訪朝が)実現するならばいつでもご一緒したい」と述べた。さて、「猪木・小沢訪朝団」の現実味はあるだろうか?(共同通信=柴田友明)

 「アントニオ猪木参院議員の会派入りについて」。国民民主党から会見予定がリリースされたのは前日の20日晩だった。メディアの関心は①参院での各党の勢力図②例年訪朝を続ける猪木氏と同席する小沢、玉木両氏の対応。北朝鮮への野党外交の可能性―だった。ベテランの記者なら、小沢氏が自民党幹事長時代の1990年、金丸信副総理(当時)が訪朝して本格化した日朝交渉の流れを熟知していることを思い出したかもしれない。実際に金丸氏訪朝以降、小沢氏は現地を訪れている。

 猪木氏は会見の冒頭で、師匠であるプロレスラー力道山(1963年死去)の思い出や自身の北朝鮮訪問が30数回に及ぶこと、湾岸戦争(1991年)勃発前にイラク入りして人質になった邦人救出を成し遂げたことを淡々と語った。「今、北朝鮮と対話できるのは猪木先生しかいない」(小沢氏)、「猪木先生の知見を生かして(日朝外交を)少しでも前へ」(玉木氏)。今年の参院選でどちらの政党から出るかも含めて立ち位置について明言を避けながら、猪木氏は双方のエールを受けて訪朝については具体的に話そうとしていた。

 これまでの自らの訪朝実績を振り返りながら「本当のことを言っても真剣に取り上げてもらえない。政治というのは数の問題」。猪木氏の言葉は本音のようにも聞こえた。「あちらで迎える方がこの方(小沢氏?)ではどうかという打診をしてもらています」との言葉も関心を呼んだ。

 一方、玉木氏は統一会派、野党の結束を訴え、「猪木氏とともに北朝鮮へは?」と記者から問われても、「今の段階で仮定の話をすることはできない。コメントは差し控えたい」と回答。「訪朝団」絡みの話はもっぱら、猪木、小沢両氏で熱く語られているのではと思わせる節があった。

 猪木氏は近年、9月9日の「北朝鮮建国70年」の祝賀行事参加のため訪朝して、朝鮮労働党の要人と意見交換している。昨年と一昨年は朝鮮労働党で外交部門を統括しているリ・スヨン副委員長と会談。日本政府としては北朝鮮制裁の一環として全国民の渡航自粛を要請しているため、猪木氏にも同じように自粛を求めるというスタンスを取ってきた。

 半島外交に手詰まり感のある政府としては、統一地方選、参院選前の野党側の鋭いけん制球となるか、それ以上のプレッシャーになるか。1週間後の米朝首脳会談後に、北朝鮮が対日外交のカードとして切ってくる可能性も否定できない。

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