プレッシャーになった支援も過去に 先進国も実施、災害時の乳幼児栄養の国際基準

善意が母親を追い詰めている可能性があります(出典:写真AC)

東日本大震災の残念な報告

防災・減災を普及したい方々は、愛に満ちている方が多いと思うのです。だから、困っている人をみたら助けたくなりますよね。素敵で尊いことだと常々思っています。他方、その愛をぐっと抑えなければならない場面があったことについても事前に考えておいてほしいと思うこのごろです。どういう意味でしょうか?

まずは、これを見てください。東日本大震災でのNGOジョイセフの活動報告書からの引用です。

子どもを守るために母乳をやらねばという強い意欲を持って母乳育児を続けたケースがある反面、放射能や栄養不足を心配して母乳を中断したケースもあった。他方、支援物資の粉ミルクが大量に出回ったこともあり、周囲からのプレッシャーを受けてミルクに切り替えたというケースも報告された。
https://www.joicfp.or.jp/jpn/project/where/tohoku/
東日本大震災 国際NGOジョイセフ活動報告書より引用

この後半部分に今回は注目してください。「支援物資のミルクが大量に出回ったこともあり、周囲からのプレッシャーを受けてミルクに切り替えた」という部分です。私はこの報告を見た時にせつなくなりました。

何度も書いているように支援する人も、善意なのです。心からよかれと思ってそうされているのです。だから、ここで、プレッシャーという言葉で表現されているものは、こんな状況だったのではないかと想像します。「ミルクが支援物資で来たから使ったらいいわよ」と笑顔で言われて、それが心からのやさしさであることを受け取る人も感じ取ったのかもしれません。だから「母乳で育ててきたからミルクは今はいらないんだけど」と思ったとしても、断ることができずに使用されたのではないかと思います。支援者の方と一緒にミルクを赤ちゃんにあげたかもしれません。そして、「よかったわねー」と言ってもらったのかもしれません。親切にしてもらった、その気持ちがわかるからこそ、断らず、自らミルクをあげることを選択されたわけです。でも何か、しこりのような引っかかりが胸にわだかまりのように残っていたのかもしれません。だから報告書にプレッシャーという文字として残ったのかもしれません。

前回と前々回で書いたように、赤ちゃんが母乳以外のものを口にすることで、母乳の分泌量が減る可能性があり、母乳からミルクに切り替わってしまうということになるわけです。

■災害時のミルク一律配布は国際基準違反?
http://www.risktaisaku.com/articles/-/14892

■赤ちゃんの命を守る乳幼児栄養の国際基準
http://www.risktaisaku.com/articles/-/14984

今までの子育てが災害によって変わってしまう、災害時だから仕方ないと思ったとしても、そこは、心に傷を負いやすい部分でもあるのです。災害がなかったら、あの時、受け取らなかったらと心が後々うずいたりするデリケートな問題なのです。だからこそ、この報告を読んで、支援する人も支援された人もどちらの思いもわかるだけに、とてもせつなくなってしまいました。 今までどおりの子育てが続けられるよう、支援ができたら…そう思うのです。

災害時の乳幼児栄養の国際基準の話をご存知の方でも「あれは発展途上国の話だからに日本に関係ない」との主張もあるのですが、今までの子育て方法を親に聞いて、母乳が続けられる人にはその支援をする、ミルクが必要な赤ちゃんにはしっかり継続してミルクを届ける、そのために今までの子育て方法のアセスメントを実施している国際基準は、こんな過去の事例を見ると日本でも必要なのでは?と思うのですが、みなさんはどう思われますか?

母乳育児は9割

もうひとつ、累計600万部も売れている誰もが知っているマンガにこんなシーンがあるのです。過去の災害で、ママたちが母乳が止まると思い込んでいて、母乳が継続できることを知らずに、避難所でミルクを求めがちになってしまっている現状を書いたマンガです。マンガとはいえ、DMAT(災害時派遣医療チーム)で活躍されている災害時小児周産期リエゾンの医師の先生をモデルにした実際にあった話をもとにしたフィクションです。次週に詳しく紹介予定なので、この部分、先延ばしで申し訳ないのですが、お楽しみに!

マンガにも書かれているのですが、どちらかというと、「災害時、母乳が完璧に止まってしまう」という誤解を与える情報ばかりが親たちに入っています。ママたち向けの講演後にお聞きしても、<母乳を少しでもあげ続ける事で母乳が継続できる>という情報は今まで聞いたことがなかったという声の方が多いのです。<ティースプーン1杯の母乳には、菌を殺す成分が300万も入っていて、母乳をできるかぎりあげることによって、災害時の感染症から赤ちゃんを守る>という情報も全く伝わっていません。 だから災害時、母乳育児の方でもミルクを希望される人が多くなっているのですが、国際基準が作られた理由は、母乳育児が継続できる場合はそれを阻害しないようにして、赤ちゃんを感染症から守る必要性があるからです。日本は先進国とはいっても、避難所は過酷な状況ですし、いままで、感染症も発生しています。国際基準は発展途上国の話としてスルーして本当に大丈夫なのでしょうか?  

また、前提として、実は、現在の日本は母乳育児率が高い国だということをご存知でしょうか?ご自身が子育てした時期と状況は違うかもしれません。子育て情報は毎年更新されていますので、この前提を間違えると支援もずれてしまいます。災害時の支援といえば、まずミルクと思いがちかもしれませんが、ミルクと併用して母乳をあげる混合育児をふくめるとほぼ90%が赤ちゃんに母乳をあげていることになるのです。

写真を拡大 厚生労働省(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000134208.html

 

厚生労働省の資料を図にするとこんな感じです。

写真を拡大 スライドは以降すべて東京大学大学院医学系研究科 国際地域保健学教室客員研究員 本郷寛子さん提供

母乳育児率が高いので、それに見合った支援が必要です。夜間の授乳は、寝ながら胸をはだけて赤ちゃんに授乳することもあるのです。授乳室が避難所にあればいいと思われている方も多いのですが、昼間と違って、夜までいちいち起き上がって別の部屋に行っていたら体が疲れてしまいます。赤ちゃんには夜も頻繁な授乳が必要なためママの睡眠時間が減るので、体を休める時間が一般の人よりも必要なのです。寝ながらその場で授乳できる環境がなければストレスがたまるのは当然ともいえます。9割の人に対する支援は行き届いているのでしょうか?途上国の話としてしまっていいのでしょうか?

先進国での基準厳守

また、先進国でも災害時の国際基準は守られ考慮されている事例として、まずは前回も紹介したアメリカの事例です。

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アメリカ小児科学会ではこんなマニュアルが作られています。ここにある「もらい乳」については、現在日本では一般的ではないので、議論があるところですよね。アメリカでは感染症対策がとられていたり、日本でも妊娠した際、母子感染の怖れのある感染症については、一通り検査し母子手帳に記載されますが、ここでは、この論点には深入りしません。とりあえず、理解していただきたいのは、先進国のアメリカであっても、国際基準にそって災害時は母乳育児支援を基本にすえ、母乳の人にミルクを無制限に配っていないということです。

 

ちなみにこれは「医師のための母乳育児ハンドブック 第2版 米国小児科学会/米国産婦人科学会」の表紙です。この中の「災害時の母乳育児支援」の項では、

ストレスによって母乳が出なくなることはなく、栄養不良の女性であっても母乳育児をうまく行うことができると母親に伝えて安心させる必要がある

と書かれています。

こちらは災害時の乳幼児栄養についてのニュージーランドの政府の方針声明です。

写真を拡大 https://www.health.govt.nz/system/files/documents/topic_sheets/infant-feeding-in-an-emergency-position-statement-dec15.pdfより引用

ここでも、

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母乳育児中の人には継続して母乳育児が続けられるよう支援し、母乳育児中の母親にミルクを配布しないことが明記されています。

さらに、こちらはEUの事例です。

https://ec.europa.eu/echo/files/media/publications/2014/toolkitnutritionen.pdf

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乳幼児栄養のガイダンス21ページにはWHOコードを守ることが書かれていて、ヘルスケアシステムにおけるミルクのプロモーションの禁止や母親にサンプルを配ってはいけないことが書かれています。

というように、国際基準は発展途上国だけの話としてしまう主張は、少々説得力に欠けるかなと思ったりします。

被災地であった母乳育児支援

現在、9割の人が母乳育児ということを書きましたが、この9割の人まですべてがミルクを求めてしまうと自治体のミルクの備蓄は当然足りなくなります。

写真提供:あんどうりす

こちらは首都圏近郊の、人口は1万人ほどの自治体での備蓄品の写真です。粉ミルクの行政での備蓄品は400食分とあります。新生児の赤ちゃんはミルクだと1週間に60回飲むと言われているので、計算すると1週間だとわずか赤ちゃん7人分の備蓄です。すべての赤ちゃんに配っていたら足りなくなるのは必然ですよね。母乳の赤ちゃんには母乳が継続できるように支援して、ミルクが必要な赤ちゃんに集中して継続して渡されることが日本でも大切なのではと思います。

ところで、災害時ミルクが届いたというニュースはわかりやすいので華々しく報道されがちですが、そこにいる母子が母乳を継続してあげたなんてことは今までニュースで見た事がありません。地味すぎて報道されていないだけかもしれません。

こちらは、参議院東日本大震災復興特別委員会2018年3月22日議事録です。報道ではなくて、議会の議事録ですから、あまり読まれることも知られることもないのかなと思ったりしますが、石巻日赤病院での事例が記載されています。

写真を拡大 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/196/0152/19603220152003.pdf

石巻日赤病院で東日本大震災後4月までの分娩数が81件あり、長時間断水の中、母乳育児支援で100%の赤ちゃんを守ったという事例です(注:正常時と書かれているのは正常児、つまり月満ちて生まれた健康な赤ちゃんという意味です)。

今では、ミルクで子育てしている人を苦しめるから使われていない言葉である「完全母乳」という言葉が使われてしまっているので、傷つく方もいらっしゃるかもしれませんが、その部分ではなく、あまり報道されていないけれど、国際基準に合致したこういう事例もあるという事は、自治体の備蓄の方針の参考として考慮すべきだと思っています。

災害時、母乳がストレスで出ないように感じて大変な思いをされた方が存在したのは事実ですが、その原因の分析として、あまりのショックで一時的に母乳が外に出ない状況だったのか、支援がなかったのか、支援が不適切だったのか、不安にかられてしまってそう思いこんでしまったのか、それとも避難所が落ち着かなかったのか、何だったのか原因分析が進んでいません。国際基準にあるようなアセスメントの体制が、今まではとられていなかったから、分析されていないのです。それなのに、今なお防災レクチャーで「母乳が出なくなる」と過剰に母親たちを脅してプレッシャーを与えていないでしょうか?

意図していないにしろ、親切心からであっても、ミルクのプロモーションを行政が前面に立って推し進めてしまったり、母乳育児をしている人にまでミルクの使用や備蓄を勧めてしまうと国際基準に反してしまいますし、先進国においても、災害時のリスクを高めてしまうことになります。

親子のきめ細やかなニーズに対応することを目的として、公平な立場で、法に基づき災害対応できるのが自治体です。

災害前の今だからこそ、自治体の皆さまと母子にとって最善の方法を考えていければと思っています。母乳でもミルクでも、子育て方法について親が非難されることなく、どちらにも支援の手が行き届き、また、母親が、自分の意思に反する強制をされることもなく、そして必ず赤ちゃんの命が守られるように、みなさんと具体的な対策を考えていきたいと思っています。

3回にわたっての同じ内容(しかもいつもより真面目な内容)にお付き合いいただきありがとうございます!

(了)

 

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