『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ著、斎藤真理子訳 不条理に目を凝らす

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 韓国の女性たちが人生において出遭う困難や差別は、日本の女性たちのそれと相似形である。時代がずれていたり、細部に違うところがあったりもするが、本質は同じだ。私はいつしか本書の主人公、キム・ジヨンに身を重ねていた。その母であるオ・ミスクにも。

「キム・ジヨン氏、三十三歳。三年前に結婚し、昨年、女の子を出産した。(中略)キム・ジヨン氏に初めて異常な症状が見られたのは九月八日のことである」

 これは冒頭の「二〇一五年秋」の章。語り手はキム・ジヨン担当の精神科医だ。この小説は、医師のカウンセリング記録という体裁で書かれている。

 まず母のオ・ミスクの苦難の生涯から書き起こされる。彼女は国民学校(小学校)を卒業すると、家事と農業を手伝い、14歳でソウルに出て働いた。しかし給料は兄や弟の学費に回される。上の兄は医者に、2番目の兄は警察署長に上り詰めたが、2人が経済力をつけてまず援助したのは末っ子の弟だった。オ・ミスクと姉は「自分たちにはチャンスが回ってこない」と気付く。

 結婚し、最初に産んだのは女の子。2番目も女の子で、それがキム・ジヨンだ。3番目の女の子を妊娠したとき、オ・ミスクは泣いて、泣いて、吐くまで泣いた。次も女の子だったらどうする?と夫に問うと「縁起でもない」と一蹴された。オ・ミスクはその子を「消し」た。女の子は女の子であるというだけで、命を奪われることがあるのだ。

 キム・ジヨンが育つ頃には男女が同じように教育を受けられる時代になっていた。でも出席番号は男子が先で、学級委員も男子。露出狂の男を取り押さえた同級生の女子5人は「女の子が恥ずかしげもなく」としかられた。

 キム・ジヨンも姉も大学に進んだが、出口には差別があった(日本では入口にも差別があると発覚したばかりだ)。男子と女子では就職率が全く違う。男子がどんどん内定する中で、取り残される。大学の学科長が彼女の先輩に放った言葉が衝撃的だ。「女があんまり賢いと会社でも持て余すんだよ」

やっとの思いで入った会社でも、セクハラが待っている。結婚し、子どもが生れると、退社せざるを得ない状況に追い込まれる。辞めるのは悲しく、悔しい。

 子どもを連れ、公園でコーヒーを飲んでいたとき。ベンチに座っていた男性が仲間にもらした声が耳に入った。「俺も旦那の稼ぎでコーヒー飲んでぶらぶらしたいよなあ。ママ虫もいいご身分だよな」

「ママ虫」は韓国のネットスラング。ろくに育児をせず遊び回る害虫のような母親という意味だ。キム・ジヨンは夜中、夫に訴えた。「死ぬほど痛い思いをして赤ちゃん産んで、私の生活も、仕事も、夢も捨てて、自分の人生や私自身のことはほったらかして子どもを育ててるのに、虫だって。害虫なんだって。私、どうすればいい?」

 これでもかと続く女性への蔑視と差別。そこをくぐり抜けて進もうとする女性たちの闘いを読んでいるうちに、なぜか自然にふわふわと元気になっていた。滑稽とも呼びたくなる不条理に徹底的に目を凝らすと、そこには既に、はばたくための翼が用意されているような気がするのだ。

 キム・ジヨンは時々、別人になる。それは医師からみれば「異常な症状」なのだろう。しかし見方を変えてみれば一つの飛翔だ。

キム・ジヨンは大勢いる。韓国にも日本にも。現実を見つめ、ユーモアを携えて、広い空に羽ばたこうとしているのだ。できることなら、そう思いたい。この小説が書かれて韓国でミリオンセラーとなり、日本でもヒットしているのだから。

(筑摩書房 1500円+税)=田村文