地名の由来(18)~江戸時代~

山梨県甲府市

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つなぐ歴史 かがやく絆 こうふ開府500年

今回は、甲府城の城下町(現在の相生・朝日・春日・新紺屋・富士川地区周辺)の地名に注目します。

甲府城の城下町は、戦国時代の武田氏による躑躅(つつじ)ヶ崎館を中心とした城下町を、新たに築く甲府城の周辺に移転・再整備して形成された。その際、新たな城下町へ、住民とともに移された地名もある。それらの地名は、新旧を区別するため、もとの地名の頭に「古」の字が付けられたが、柳沢吉保が城主となり、「古」から「元」にするよう改められている。改称された元紺屋・元城屋(もとじょうや)・元連雀・元柳・元緑・元穴山・元三日町のうち、元緑町のルーツとなる緑町は武田氏時代には存在せず、江戸時代初期、「川尻町」と称し、古府中には古川尻町があった。古川尻町を元川尻町と改めず、元緑町とした理由は不明だが、川尻町の名は、織田信長の家臣で武田氏滅亡後、甲斐の領主となって恵林寺の焼き討ちなどを行ったといわれる川(河)尻秀隆の近習衆が住んだことに由来するという。武田信玄を深く崇敬した吉保が、その名を避けたことが推察される。

武田氏の城下町同様、生活に欠かせない職人の集住に由来するのが元(新)紺屋・大工・畳・細工・魚うお・工(たくみ)・鍛冶・桶屋町である。細工町には金具師や研とぎ師、鞘(さや)師など、工町は主に檜(ひもの)物師(檜や杉の薄い板で曲げ物をつくる)が住んだ。新青沼町は鋳いもの物師が住み、「鍋屋町」とも呼ばれた。また、白木町は材木商、材木にちなむといい、佐渡町は甲州金鋳造のため、大久保長安が佐渡から金工を移住させたことによるという。
先手(さきて)小路・納戸小路・代官町・二十人町は、先手組(弓・鉄砲組)、納戸役、代官衆、同心(いずれも江戸幕府の職名)の屋敷があったことに由来する。

▽甲府城下町の地名(江戸時代後期)

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