24日に行われるビッグマッチ、マンチェスター・ユナイテッド対リヴァプール。
スールシャール監督の下で調子を上げてきたマンチェスター・ユナイテッド、そして首位シティを追うためには勝点を1つも落とせないリヴァプール。
メガクラブ同士の戦いは世界的に注目の試合になるはずだ。それに合わせて、この両チームに所属した数少ない選手を特集しよう。
ポール・インス
マンチェスター・ユナイテッド:1989~1995年
リヴァプール:1997~1999年
マンチェスター・ユナイテッドで長く活躍を見せたことで知られるレジェンド。ウェストハム・ユナイテッドから1989年に加入し、206試合に出場した。
インテルを経て1997年にリヴァプールへと移籍し、65試合で14ゴールを決めた。両チームでキャプテンを務めたのは彼だけなのだそう。
トム・チョールトン
リヴァプール:1904~1912年
マンチェスター・ユナイテッド:1912~1914年
マンチェスター・ユナイテッドとリヴァプールに両方所属した選手としては歴史上初めてだったというチョールトン。1900年代初頭にプレーした名DFだ。
リヴァプールではペナルティキックも担当したため、117試合に出場して8ゴールを決めている。その後ユナイテッドに移籍したが、2シーズンで4試合の出場に留まっている。
アレンビー・チルトン
リヴァプール:1938年
マンチェスター・ユナイテッド:1938~1955年
1938年にリヴァプールと契約したものの、1試合も出場できず。その後マンチェスター・ユナイテッドに移籍し、17年もの間プレーした名選手だ。
第二次世界大戦では兵士として軍事サービスに従事し、ノルマンディー上陸作戦にも参加。生還後も選手に復帰し、長く活躍している。1996年に死去。
ピーター・ベアズリー
マンチェスター・ユナイテッド:1982~1983年
リヴァプール:1987~1991年
カナダでプレーしているところをロン・アトキンソン監督によってマンチェスター・ユナイテッドに引き抜かれたという珍しい選手。
その後は一度カナダへと戻ったが、それからニューカッスル・ユナイテッドに移籍してイングランドでプレー。そして1987年にリヴァプールへ移籍した。
トム・ミラー
リヴァプール:1912~1920年
マンチェスター・ユナイテッド:1920~1921年
1912年にスコットランドのクラブからリヴァプールへとやってきたインサイドFW。すぐにチームの中心人物となったが、1915年のマンチェスター・ユナイテッド戦を巡る八百長事件(グッドフライデー・スキャンダル)に関与したとして追放された。
第一次世界大戦後に謝罪が受け入れられて選手として復帰すると、1920年にマンチェスター・ユナイテッドに移籍している。
フィル・チスナル
マンチェスター・ユナイテッド:1959~1964年
リヴァプール:1964~1967年
直接マンチェスター・ユナイテッドとリヴァプールの間で移籍した歴史上初めての選手がこのフィル・チスナルだ。ユナイテッドで35試合、リヴァプールで6試合に出場。その後移籍したサウスエンドで活躍を見せた。
2014年には脳梗塞で倒れたことで深刻な状況に。経済的に困窮していたこともあり、多くの元選手が彼を支援するためのチャリティーオークションに参加した。
マイケル・オーウェン
リヴァプール:1996~2004年
マンチェスター・ユナイテッド:2009~2012年
「ワンダーボーイ」という異名をとった快速ストライカー。若くしてリヴァプールで大きな成功を収め、297試合に出場158ゴールを叩き込んだ。
退団後はレアル・マドリーに移籍したもののスーパーサブにとどまり、ニューカッスル・ユナイテッドと契約してプレミアに復帰。それからマンチェスター・ユナイテッドに引き抜かれている。