球団創設70周年のDeNA、球団史を彩るレジェンドOB土井淳と稲川誠の足跡

大洋ホエールズOBの稲川誠氏(左)と土井淳氏【写真提供:横浜DeNAベイスターズ】

1960年代を支えた頭脳派捕手・土井、秋山とバッテリーで人気

 かつて横浜DeNAベイスターズが、山口県下関市を本拠地としていたことは、今のファンはほとんど知らないのではないか。

 DeNAの前身である大洋ホエールズは、遠洋漁業と捕鯨業を業とする大洋漁業を母体として1950年に誕生した。そして、本拠地は遠洋漁業の基地だった下関市に置かれたのだ。母体となる大洋漁業は都市対抗野球屈指の強豪チームだった。

 しかし、大洋ホエールズは弱かった。1953年には松竹ロビンスと合併して大洋松竹ロビンスとなり、本拠地を大阪スタヂアムに変更。1954年前に松竹が球団経営から撤退し、大洋ホエールズに戻ると、翌年から川崎市を本拠とした。

 1960年、名将・三原脩が監督に就任すると、いきなり初優勝。この時に21勝を挙げ、防御率1位のタイトルを獲得したのが秋山登。秋山の球を受けたのが土井淳(きよし)だった。秋山と土井は明治大学時代からバッテリーを組んでいたが、大洋は1956年、明治大学からこの2人を含む5選手を獲得し、主力に据えた。

 秋山は大洋一筋で193勝を挙げる。土井も頭脳派の捕手として長く活躍し、大洋のフランチャイズプレーヤーとしてキャリアを終える。

 大洋ホエールズは以後、1998年まで優勝しなかったので、「秋山―土井」のバッテリーは長く「大洋唯一の優勝バッテリー」としてファンの尊敬を集めるようになる。

 秋山は引退後、解説者や大洋の監督を務めたが2000年に死去。土井も大洋の監督や阪神のコーチなどを歴任する。また「プロ野球ニュース」の解説者としても長く活躍。春季キャンプには、昔から使っていたアンパンミットを持って訪れ、50歳を過ぎてもブルペンで実際に投手の球を受け、いい音を響かせて「よし、いい球だ」とリアルな解説をして好評を得ていた。

 かつて「ホエールズ・ベイスターズOB会」の会長を務めた土井は、今年で86歳を迎えるが健在だ。

1960年代にエース格として活躍した稲川

 稲川誠は立教大学から富士製鐵室蘭を経て、1962年に大洋に入団した右腕。1960年の優勝は知らないが、秋山とともに大洋のエースとして活躍した。1963年に26勝、64年には21勝を挙げている。

 それ以上に有名なのが「1本足打法に変えた王貞治に最初の本塁打を提供した投手」ということだろう。新人だった1962年7月1日、川崎球場で行われた巨人とのダブルヘッダーの第1戦、3回の第2打席で王に右翼席に本塁打を許した。王は荒川博コーチと1本足打法を編み出したが、この試合で結果が出なければ元の2本足打法に戻すつもりだった、とも言われている。被弾した稲川は「世界の本塁打王」が誕生する一端を担ったと言えるかもしれない。

 稲川の現役生活は7年と短く通算83勝だったが、引退後はコーチ、スカウト、寮長と大洋、横浜一筋で勤務。2012年に76歳で勇退した。現役選手の中にも稲川寮長に世話になった選手は多く、今年83歳に迎える。

 3月10日に球団創設の地、山口県下関市のオーヴィジョンスタジアム下関で行われるオープン戦には、選手たちが「大洋ホエールズ復刻ユニフォーム」を着用して試合に臨む。4月13、14日に行われる「70th ANNIVERSARY GAME」には、レジェンドOBとして土井淳と稲川誠も姿を見せる予定だ。

 球団の創設70周年にふさわしい、意義深いイベントだと言えるだろう。(広尾晃 / Koh Hiroo)

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