ドナルド・キーンさん「震災後」語った日本人像

追悼 「鬼怒鳴門」さん

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96歳で亡くなったドナルド・キーンさん。右は2012年3月、日本国籍を取得し、漢字で当てた名前を手にするドナルド・キーンさん=東京・北区

 東京都北区のドナルド・キーンさんのご自宅を訪問したのは2011年10月21日だった。東日本大震災から7カ月。キーンさんはすでに、日本永住と国籍取得の意思を表明していた。「震災で日本にいた多くの外国人が自国に帰っていると報道で知り、ともかく一人だけでも逆へ向かおうと決意しました」。にこやかに淡々と語る様子に感動したのを覚えている。訃報に接して、本人が語った内容をあらためてまとめてみた。(構成 共同通信=柴田友明)

 当時、作家の池澤夏樹さんとの対談を文化部が企画。社会部デスクだった筆者はその取材に同行するかたちで、池澤さんらと一緒にキーンさん宅に伺った。

 「日本永住を表明すると、多くの人から『勇気をもらった』と礼状が届きました。生まれて初めて人に勇気を与えたと分かり、私の生涯の中で最も重要な出来事の一つとなりました。今となってはなぜもっと早くそうしなかったのかと思っています」。

 池澤さんから「日本人になる」ことへの気持ちを聞かれ、キーンさんは自身の決心をそう語った。

 対談では「桜と日本人」をテーマにこんなやりとりもあった。

 「桜は東北が最もきれいだと言われますが、私もそう信じるようになりました。吉野をはじめとする日本各地の桜は本当に美しいものです。しかし、黒い森の中であでやかに咲く東北の桜にこそ、桜の本質を見る気がします。千本桜より森で光を放つ1本の桜、その姿が東北的にも思えます」。キーンさんは桜への思いをそう口にした。

 「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めにさけ」。池澤さんが古今集を引用して、大事な人を亡くし悲しいときに、明るい色の桜は咲いてほしくないという気持ちを投げ掛けた古人の和歌をよんだ。震災の記憶がまだ生々しいその年、人々の思いを古典の歌を例えに表現したものだった。「それが今年はふさわしいと思っていました。それでも桜はきれいに派手に咲く。そして、それでよかったんだと安心もする。複雑な気持ちでしたね」

 これに対してキーンさんは「方丈記に書かれた地震や源氏物語の野分(台風の呼称)などの例はありますが、日本文学で災害を書いたものは驚くほど少ない。多くの災害があり、悲しくても『瑞穂の国』として自然に畏敬の念を抱いていたということでしょうか」とこたえた。

 被災者への思い…。キーンさんは岩手の中尊寺で講演をした時の自身の思いを語った。勇気づけるつもりだったが、逆に勇気づけられたという。「被災者の方から、今も、これからも生き続けるという意志を感じました。目頭が熱くなりました。気の毒に思ったからではなく、感動したからです」

 話の後半で語られたのは終戦後の日本だった。「1945年に12月に見た東京をはっきりと覚えています。厚木の飛行場から街の中心に近づくにつれ、家が焼けて少なくなり最後は蔵と煙突などが散見されるだけでした。(中略)しかし、8年後に日本に留学した時、東京は戦争の爪痕を残しながらも、生き生きとした街に生まれ変わり、新たな文化の息吹が見られました。あの時と同じ希望と自信を持ち、もっと良い日本をつくるという決意を共有できたら、復興は必ず実現できます。私はそれを全く疑いません」。キーンさんはそう穏やかに語った。

 日本人への温かなまなざしを感じた。対談後、キーンさんの書棚に「金閣寺」など、交友があった三島由紀夫氏の著書や関連する本が多いことに気付き、三島氏の思い出を聞けた。大戦中に戦死した日本軍兵士の手帳の記述を見て深い感慨にとらわれたこと、谷崎潤一郎氏や川端康成氏ら文豪たちとの交流、話題は尽きなかった。

 日本文化の「知の巨人」「時代の証言者」とも言えるキーンさんにはもっともっとさまざまなことを聞きたかった。ご冥福をお祈りします。