青森山田サッカー強さの秘密は…/全国制覇2回、黒田監督の「人間教育」、ハンディ覆す「負けず嫌い」

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2年ぶり2回目の優勝で笑顔を見せる青森山田イレブン。雪国のハンディを覆し全国屈指の「常勝集団」に成長した=1月14日、埼玉スタジアム

 今年1月の全国高校サッカー選手権。青森県代表の青森山田高校が2年ぶり2回目の全国制覇を達成した。名実ともに全国屈指の強豪校に成長し、巣立ったJリーガーは40人。同校サッカー部の歩みは、まさに平成の30年間と重なる。礎を築いた黒田剛監督(48)の徹底した人間教育と「負けず嫌い」精神が、高校サッカーの頂点に押し上げた。

 初の全国高校選手権出場は、創部から21年後の1991(平成3)年。「当時は五戸や十和田地区など県南の学校が強かった」と、県サッカー協会第2種(高校世代)委員会の田中舘章文委員長(44)=五戸町出身=は振り返る。青森山田にサッカー進学する選手は少なく、元Jリーガーで日本代表に選出された五戸高校出身の下平隆宏氏(47)らが活躍していた時代だった。

 まだ弱小だった青森山田にコーチとして赴任してきたのが、北海道の母校でサッカー部臨時コーチをしていた黒田監督。94年、24歳のときだ。高校時代の恩師からの紹介だった。翌年、前監督の退任で監督に就く。「1年目のときの部員は18人。指導のスキルも自信もなかった」と黒田監督。専用グラウンドはなく整備もされていなかった。部員を引き連れ、自らバスを運転して全国の強豪校を巡っては、指導の教えを請うた。門前払いされたこともあった。それでも負けず嫌いの精神が自分を奮い立たせた。

 監督就任初年度に全国高校選手権に出場したが、1回戦で多々良学園(山口)に0-4で完敗。翌年の同選手権県予選では準決勝で光星学院(現八学光星)に敗れた。「26歳のとき。悔しくて悔しくて朝まで泣いた。そこから奮起した」

 選手への指導は厳しさを増したが特に重視したのは日常生活の礼節だった。礼を重んじることで、選手たちに動じない心を養わせた。「精神的に優位に立つことで紙一重の勝負どころで相手を上回ることができる。メンタル面の鍛錬につながった」

 同校サッカー部OBで、黒田監督の信任が厚い正木昌宣ヘッドコーチ(37)=札幌市出身=は「監督は練習一つ一つに要求が高い。サッカーに取り組む姿勢、常に100パーセントを出すという考えは昔から変わらない」と話す。

 部員たちの意識改革は5年を経て実を結ぶ。99年の新人戦での敗戦を最後に県内公式戦は負けなしで、現在まで346連勝。全国選手権常連校となり、力のある選手が集まるようになった。

 2001年4月の青森山田中学の開校で、中学・高校6年間で一貫した強化・指導ができるようになったことも「常勝集団」の構築に一役買った。日本代表で活躍する柴崎岳選手(26)=野辺地町出身=ら、高校で中心となる選手の育成につながっている。

 「青森山田の活躍に刺激され、同校を手本にする県内校は多い」と田中舘委員長。実際、本年度の選手権県予選決勝で対戦した野辺地西に、決勝では10年ぶりに失点し、青森山田は2-1で辛勝した。県内ライバル校も着実に地力をつけてきた表れだ。

 黒田監督は「雪国はハンディ」とする考えを否定し続け、2回の全国制覇でそれを証明してみせた。「誰もがハンディだと思ったところを覆していくことに、倍の喜びと感動がある。選手たちの活躍で県や市、学校を元気づけたい」。日本一を手にしてなお衰えない探求心が、さらなる「常勝集団」をつくり上げる。