パリで「物乞い」をしていた…ママドゥ・サコの激白が考えさせられる

『Daily Mail』は25日、「クリスタル・パレスのフランス代表DFママドゥ・サコは、自分の人生について話した」と報じた。

かつて17歳でPSGのゲームキャプテンを務めたことで知られるサコ。2013年にリヴァプールと契約し、その後クリスタル・パレスへと活躍の場を移した。

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セネガル人の両親を持つフランス生まれの彼は7人の兄弟を持っており、故郷のパリでは住居を転々とするような生活をしていたそう。さらに13歳のときには父親が死去し、過酷な生活を余儀なくされた。

彼は自身の人生について以下のように話し、かつては街で物乞いのようなことをしていたと告白した。

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ママドゥ・サコ 「僕はストリートにいて、お金を恵んでくれと頼んでいたよ。ある女性は、僕をまるで泥棒のように見て、バッグを自分の手元に抱え込んだ。

ショックだったよ。僅かなお金でパンを買ってほしかっただけだが、彼女は僕がバッグを盗むと思ったんだ。

その日から、僕は心に留めた。『今の僕は空腹で、彼女は僕が悪いことをすると思っている。しかしいつか何かを手に入れたら、お返しをするんだ』と」

「僕は空腹の何たるかを知っている。寒さの何たるかを知っている。食べ物が欲しくて、小銭を要求していた。

それが僕の小さな頃の人生だった。それを誇りに思っているから、ペラペラ喋るのは好きじゃないんだ。

誰もが自分の物語を持っている。僕の個人的な物語は、自分を『お返しをする』という気分にさせてくれる。

ちょっとした人気があるときは、それを積極的に利用できる。それこそ自分がやろうとしていることだ。

別に誰かの模範になろうとしているわけではない。ただ刺激を与えたいだけさ。誰もが自分の物語を持っているし、これは僕の話だ。

自分のストーリーが僕を助けてくれた。どのような人生を見出すかということに対してね」

(父の出身地であるセネガルのタンバに孤児院を建設したね)

「僕はそこを『スレイマヌ・サコ』と呼んでいるよ。父の名前だ。

13歳の時、僕はサッカー選手になると思った。父が亡くなったときだ。家族を養う責任が僕の肩に伸し掛かった。

僕は男になった。サッカー選手になることは目標じゃなかったんだ。もはや義務だった」

「昨日誰かに聞かれたよ。17歳でPSGのキャプテンを務めたのは厳しかったんじゃないかって。

だけど『人生で最も厳しかった責任は、13歳で家族の大黒柱になることだったよ』と答えたよ」

(ワールドカップのメンバーからは漏れたが、その間は慈善活動でアフリカの8カ国を訪れていたね?)

「単に小切手を送ることは正しくないよ。

ドバイやマイアミで遊ぶことも出来た。しかし、彼らに希望を与えるために会いに行くこと、彼らと話すことは重要だ。

慈善団体の運営は僕のセカンドビジネスのようなものなんだ。僕は辛い人生を過ごしていたが、決して諦めはしなかった。希望は重要なんだよ」

(引退後はどうする?)

「勉強するよ。取り組むのが政治なのか、映画なのか、慈善団体なのか、銀行業務なのか、なんでもあり得るよ。わからないけどね」

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