「政策秘書」って何する人?  職懸けて議員に意見も   信頼関係、築くまでの16年間 秘書のお仕事

By 関かおり

「絶対的な信頼関係」

 笘米地真理(とまべち・まさと)さん(47)は立憲民主党の近藤昭一議員との関係をそう表現した。

 近藤氏は1996年、旧民主党から出馬し、愛知3区で初当選。17年衆院選で8選を果たした。笘米地さんは、03年から近藤事務所に勤める政策秘書だ。「絶対的」と言い切る関係ができるまでの16年間、どんなことがあったのか(その前にそもそも政策秘書って何なのか)、笘米地さん本人に聞いてきた。

 ▽政治家志望から秘書へ

 記者の私自身がこういうのがとても苦手なので、先に小難しい話を済ませます。

 国会議員の秘書には大きく分けて、国費で採用できる「公設秘書」、議員本人が雇う「私設秘書」の2種類がある。公設秘書は3人まで。そのうち、議員の政策立案などを補佐する専門知識を持った秘書のことを「政策担当秘書」(一般に「政策秘書」)という。国家試験を突破するか、実務経験などの条件を満たして認定を受けなければならない。冒頭でも書いたとおり、笘米地さんは近藤事務所の政策秘書。なんか、なんとなくすごそうだけど、どんな人なのか。

 笘米地さんは90年に高校を卒業後、中国の大学に通っていた。92年に帰国してからは、生活のために働き始めた。アパレルの営業職やピザ屋などさまざまな業種を渡り歩いた末、96年に政治の世界に飛び込んだ。

 教育ジャーナリストで世田谷区長の保坂展人氏が衆院選に当選したことがきっかけだった。笘米地さんは保坂氏の著作に興味を持ち、若者が自由に出入りできる場として保坂氏が運営していたフリースペースに通っていた。高校生のときには生徒会活動をテーマに本も執筆。選挙を手伝い、保坂氏の当選後にそのまま事務所の秘書として採用され「いつか自分も政治家に」とも考えていた。

 当時、沖縄の駐留軍用地特措法を巡って政界は揺れていた。土日の休みはおろかほぼプライベートの時間が取れない日々だったが、自分たちが設定した記者会見で世の中が盛り上がる様子を目の当たりにし、その手応えにやみつきになった。徐々に政治家志望の気持ちが薄れ、秘書の仕事に没頭した。

 02年には、高校時代に書いた本が「論文」として認められ、政策秘書の資格を得た。しかし、03年の衆院選で保坂氏が落選。別の事務所に移らざるを得なくなり、1カ月ほど面接に回った。そんな中で、中国に留学した経験を持つ近藤氏に「拾われた」。笘米地さんが高校卒業後、中国で学んでいたことが共通点だった。

 ▽奥が深い「質問」

 近藤事務所での仕事は、スケジュールの管理や来訪者の応対、挨拶回りなど多岐にわたる。やっていることはほとんど他の秘書と変わらないが、中には「近藤氏と一緒に国会での質問を考える」という政策秘書っぽい仕事も。国会の質問って、議員本人が1人で考えるわけではなくて(そういう人もいるけど)、専門知識を持つ政策秘書の力を借りている議員も珍しくない。これが結構奥が深い。

 案件にもよるが、まずは、当事者の話を聞く。たとえば大気汚染の問題なら、その被害者や、専門家、弁護士。そんなときに「この問題なら、この人に聞く」というネットワークが広ければ広いほど仕事に有利だ。ゆえに「秘書がころころ変わる」ということは、そのたびにネットワークが丸ごと失われることと同義。政治家として致命的だ。

 問題の当事者たちが、どんなことに困り、どんな解決を望むのか。国会で解決につながる答弁を引き出せたときは「役に立てた」とやりがいを感じる。当事者の口から「近藤さんのおかげで解決した」という評判が広まれば、後々近藤氏の選挙結果にも影響していく。「そういうときはやっぱりうれしい。たとえ小さいことであっても」。こんなふうに議員の政治活動を影で支えている。

 ▽秘書、やめます

「サポートするのが秘書の仕事」。そうはいうものの、16年の間には、「事件」もあった。

「秘書をやめさせてもらいます」

 10年ほど前のことだった。ある選挙への出馬に、近藤氏が関心を示していた。しかし情勢を分析すると、近藤氏が不利だった。「そんなことをしても、何もいいことはない。今は国政が活躍の場だ」。笘米地さんは大反対。近藤氏を説得し「どうしても出るというのなら、秘書をやめさせてもらいます」と言い放った。

 周囲からは批判された。「君は、自分の保身のために議員がやりたがっていることを止めた」。秘書は議員が落選したら一緒に職を失う。笘米地さん自身、落選への恐怖は「保坂事務所にいたときはまだ若くて感じていなかったが、正直、今はある」と話す。ただこのときは保身どころではなく「なんとしても止めなければ」と必死だった。最後には近藤氏が折れた。

 近藤さんも、笘米地さんを失うのが惜しくなったのですかね? 「いや、冷静に考えて自分でも『厳しい』と認識し、国政に力を入れる判断をしたのでは。当時は今ほど絶対的な信頼関係は築けていなかったと思います」。今では、近藤氏は公私ともに判断に迷う問題に直面したとき、笘米地さんに「どう思うか」と尋ねてくれるという。一定の緊張感はありつつも「聞きやすい相手」として近藤氏から頼られている実感はある。

 仕事は常に慌ただしく「ずっと追われているような感じ」。政治状況にも振り回されるが、やはり最もばたばたするのは選挙戦だ。近藤氏自身の選挙だけでなく、他の人の応援にもかり出されることがあり、1カ月ほど休みが吹っ飛ぶ。笘米地さんの妻も同じく秘書。衆院選となると、夫婦2人とも自宅に帰れなくなるので、愛犬の預け先を探すことにも苦労する。「(愛犬は)女の子なんですけど、気が強くて、なかなか預かってもらえないんです」。

 秘書の世界ではベテランとなった。最近徐々に、近藤氏の「政治生活のまとめ」のことも視野に入れ始めた。やり遂げなければならない課題、今後活動を引き継ぐ人のこと…。「議員のやりたいことを、少しでもできるように」。そう心がけながら駆け回っている。(共同通信=関かおり)

 ▽取材を終えて

 この企画に携わっておいてなんですけど、政治に興味のない若者代表の私。にわか勉強の知識では、笘米地さんが目を輝かせて語ってくれる政局昔話に全くついていけず、呆然。「高校時代から政治に強い関心があって、自分も政治家になりたかった」という話を聞いて「世界が違う」と思ってしまいました。私、高校時代なんかザリガニ釣りしてたよ…。

 ただ、笘米地さんがあんまりにも楽しそうに話してくれるもんで、「これってちゃんと背景を把握していれば意外と面白いのかも…?」という気もしてきました。高校のときに近現代史が苦手だったのですが、あれ、細かい人物関係を知っていると見え方が全く変わるでしょう。それと同じで、新聞の小難しくて無機質な政治面の向こうでは、ドラマチックな人間模様が渦巻いているのかもしれません。ちなみに笘米地さんご自身も、取材中に細かすぎて伝わらないモノマネを披露してくださるとても人間的なお方でした。(終わり)

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