女性秘書はタイトスカートじゃない

 イメージと違う「俺の船」の世界 秘書のお仕事

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関かおり

共同通信

関かおり

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2013年入社。名古屋支社、静岡支局、浜松分室を経て47ニュース編集部に。将来の夢は忍者。

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 女性秘書―。この言葉に抱く記者のイメージはこうだ。

 色気むんむんのグラマラスなボディにタイトスカート、キラリと光るめがね、ハイヒールをこつこつ鳴らしてさっそうと議員先生の脇を歩き、ドでかい手帳を開いてスケジュールを読み上げ、熱々のコーヒーとか出してくれる―。

 ドラマや漫画に出てくる「ザ・女性秘書」のイメージを抱えたまま事務所に取材に行った。出てきた女性は確かにめがねをかけていたけど、ハイヒールではなかったし手帳を開いてもいなかった。あの…タイトスカートは…? 「そんな人見たことないです。漫画に出てくる秘書のキャラクターは8割うそです」

 岩井禅さん(41)は、馬淵澄夫元国土交通相の秘書だ。馬淵氏は2003年に旧民主党から奈良1区で出馬し初当選。衆院議員を5期務めたが、17年の衆院選で希望の党から出馬し落選した。ことしに入り、補欠選挙に伴い繰り上げ当選した。民主党政権、八ツ場ダム問題や中国漁船衝突事件に揺れた国土交通相時代、選挙戦、そして落選―。間近で運命をともにしてきた岩井さんに、秘書の仕事の内幕を聞いた。

 ▽「船に乗ります!」

 小学3年のときにミニ政党ブームがやってきた。政見放送で個性の強い候補たちが宇宙や酢について語っていた時代。特別政治に関心があったわけじゃないけど、「なんか面白いな」と身近なこととしてとらえていた。

 06年に地元の神奈川県で補欠選挙があった。当時、コンビニでアルバイト店員をしていた岩井さんは、候補者がたまたま同じ高校の出身だったことで興味を持ち、選挙事務所のボランティアになった。それがきっかけで知り合った人から「馬淵澄夫事務所で秘書を探しているが、面接を受けてみないか」と誘われた。

 「あの人か!」。 岩井さんの脳裏に衆院国土交通委員会で「指示じゃないですか!」と詰め寄る馬淵氏の姿が浮かぶ。05年に発覚した耐震強度偽装問題で国交省などの責任を厳しく追及する姿を「怖そうな人だ」と思いながらテレビで見ていた。

 志望動機を書き(秘書の仕事内容を知らなくて何を書いていいのか分からなかったから、とりあえず「頑張ります!」みたいなことを書いた)、面接を受けた。実物の馬淵澄夫氏は、日焼けで真っ黒の顔、オールバックに光沢のあるスーツ姿で、やっぱり怖そう。岩井さんの志望動機を読み「なぜ馬淵澄夫事務所じゃないとだめなのかということが書かれていない」と辛口の寸評だった。遠回しに断られているのかな、と思っていたらこう言われた。

 「俺の船に乗れるなら来い!」

 「鳥羽一郎か?」。よく意味がつかめなかった。断られているのに「はい」なんて言って困らせても悪いし、かといってこのままコンビニのアルバイトを続けるのも…。

 数日悩んだ末に、事務所への就職を決断。馬淵氏に電話して開口一番に言った。「船に乗ります!」

 馬淵氏と直接顔を合わせ、今後の仕事内容を打ち合わせた。「ところで今ご両親はご在宅か」と聞かれて「なんのことだろう」と思いながらもうなずくと、今から直接岩井さんの自宅へ出向いて両親にあいさつをしたいという。

 結婚もまだなのに、初めて家に連れてきた男性が馬淵澄夫って…。馬淵事務所では男女問わず他の秘書も採用の際に馬淵氏が直接家に出向いて挨拶をするが、当時はそうとは知らなかった。戸惑いながらも両親に馬淵氏を紹介し、秘書としての生活をスタートさせた。07年の夏の終わりだった。

 ▽スケジュール管理からツイッターアイコン作りまで

 岩井さんに任されたのは、東京での仕事。選挙のボランティアをしていたとはいっても、実際の秘書の仕事については何も知らなかった。政治にもそれほど詳しくない。目の前の仕事を一つずつこなしながら、知識を身につけた。

 秘書はそれぞれ膨大な作業を分業してこなしている。基本的に「何でも屋」で、議員の代わりにあいさつに回ったり、役所の説明を聞いたり、印刷物を作ったり、内容は多岐にわたる。岩井さんの場合は、主にスケジュール管理やロジの事務作業。デザインソフトを使える特技を生かし、地元で配るビラや、質疑のときに使うパネル、馬淵氏のツイッターアイコンまで作る。

 馬淵氏は10年に旧民主党政権下で国土交通大臣に就任した。当時、八ツ場ダム問題や中国漁船衝突事件で国交省は揺れていた。政治家としての仕事に加え、大臣としての仕事も加わり、スケジュールのすりあわせはより複雑に。多忙になった…はずだけど「そもそも秘書として働き始めた直後に第1次安倍内閣の安倍首相が辞任しちゃって、ドタバタでスタート。何が『普通』か分からないままここまで来ちゃった」という。

 選挙期間中は、ボランティアの対応や電話番、人手が足りなければ選挙カーに乗り込んで市民に支持を呼び掛ける。徐々に溶け込み、支援者にも「しずちゃん」と呼ばれてかわいがってもらえるようになった。

 地元になじんでしばらくたった。希望の党の台頭や民進党の合流で大揺れした17年衆院選。馬淵氏は議席を失った。

 ▽落選

 議員秘書というのは、議員が当選するから「議員秘書」。落選したら、一緒に職を失う。

 希望の党をめぐる情勢がどんどん厳しくなっていくのは、肌で感じていた。町の雰囲気が今までとまるで違った。「ちょっと怖い」と感じるほどだったという。

 「忠臣蔵の吉良上野介って、こんな気分だったのかな。町中の人から嫌われたような感じ」

 嫌な予感は的中した。馬淵氏は区割り改定で新たに選挙区に加わった奈良県生駒市で自民候補に競り負け、敗戦。比例復活もできなかった。「ああ、そっか…」。驚きはなかった。

 支援者に「馬淵さんを議員にしてあげられなくて、ほんまにごめん」と謝られた。熱心に選挙活動を手伝ってくれた人たちにそんなことを言われて、胸が詰まった。しかし悲しみに暮れる猶予もなく、落選の翌日から容赦なく議員会館の担当者から電話がかかってくる。「会館、いつ出られるんですか? まだですか?」。東京での引っ越し作業に取りかかるため、ばたばたと奈良を去った。

 一度は馬淵氏の元を離れて別の事務所に移った。が、どうしても「奈良でもう一度選挙がしたい」という気持ちを捨てられなかった。岩井さんを受け入れ「しずちゃん、しずちゃん」とかわいがってくれたボランティアの人たち。彼らと悲しい思いをしたまま別れるのは嫌だった。

 「別れるにしても、笑顔でお別れしたい」

 再び馬淵氏の秘書として働き始めたのは昨年1月から。今まで分業していたアポ取りやあいさつ回りも新たに加わった。忙しくなったが、支援者への領収書に手書きで近況報告の手紙を添えたり、ビラに載せる馬淵氏の似顔絵を描いたり、細かい作業も手を抜かない。

 「私が失礼な態度を取って『馬淵さんはこういう人を使っているのだな』と思われたら、馬淵の評価まで落ちてしまう。そうなれば、選挙結果にも響く」と肝に銘じて取り組んでいる。

支援者から手渡されたスカーフを机に置き、インタビューに応じる岩井さん

 議員が船長で、秘書も同じ船に乗っている運命共同体。今なら「俺の船」の意味が分かる。「議員は一にも二にも信用が大事。議員中心に秘書も一枚岩になり、信頼関係が築けないと、活動ができないんだな」。鳥羽一郎の演歌のフレーズではなかった。

 落選した後「しずちゃん、寒いでしょう」と支援者が手渡してくれたスカーフは、今も大切に使っている。「議員を支え、生かすのが秘書の仕事」。岩井さんはそう語り、支援者への手紙に向き合った。(共同通信=関かおり)

 ▽取材を終えて

 支局時代に選挙の取材で会った議員秘書は、たまたまみんな男性だったので、女性秘書にお会いするのはこれが初めてでした。「クールで超有能」という定番の秘書キャラを思い描いていましたが、岩井さんはよく笑い、よくしゃべる気さくな女性。仕事へのひたむきな思いを語る一方で「国会の質問で使うパネルは業者に発注すると意外と高い」などの豆知識も教えてくださいました。

 ちなみに岩井さん、仕事の一環で支援者に国会議事堂の案内をしていたとき、衆議院の議場の広さについて「東京ドーム何個分、みたいな分かりやすいたとえはないかな」と調べたそうです。結果、近い面積だったのは「シューマッハの家」。そうなんだ…でもそれ全然分からないよ…。(終わり)