「サッカーコラム」類いまれなる才能、開花の時か 今、見るべきはJ1・FC東京の久保建英

川崎―FC東京 前半、競り合うFC東京・久保(左)と川崎・車屋=等々力

 いくら技術的にアドバンテージがあろうとも、それが相手を圧倒するほどでなければフィジカルで勝る相手に押さえ込まれてしまう。ワールドカップ(W杯)を戦う日本代表の姿を通じて、私たちはそんな思いを何度も味わってきた。

 高校1年だった2017年にJ1クラブとプロ契約を結んだ将来を嘱望される、若き才能。FC東京の久保建英のことだ。世界的な強豪・FCバルセロナの下部組織でその能力を順調に伸ばしていた時に、突然日本に戻らざるを得なくなった。18歳以下の外国籍選手登録に関するクラブの違反が発覚し、公式戦への出場を停止されたからだ。志半ばでの帰国は不本意なものだったが、その経歴ゆえに日本中の注目を浴びる存在となった。

 16歳のときには飛び級でU―20W杯に出場。技術と戦術眼は間違いないものだ。とはいえ、J1で大人を相手にした場合、前年ながらその優れたテクニックをフィジカルで封じられる場面も多く見られた。

 昨シーズンまでFC東京、そして期限付き移籍した横浜Mで出場した試合数は11試合。先発出場に限っては2試合しかなかったので、久保が素晴らしいプレーをしたという印象は、残念ながら記憶になかった。若くしてトップリーグにデビューを果たしたという意味では、中学3年で東京VからJ1に出場した森本貴幸(J2福岡)の方が個人的には衝撃的だった。これは個人差があるものだからしょうがないのだが、森本は中学生の時点で体格は大人と変わらなかった。肉体的強さという面で早熟だった。

 しかし、若い選手はちょっと見ていない間に、驚くほどの成長を見せる。J1で2連覇中の川崎のホーム、等々力陸上競技場に乗り込んだFC東京で“コンダクター”を務めたのは、イメージを一新した若者だった。

 17歳8カ月19日。この年齢はJ1リーグの開幕戦でスターティングメンバ―としては事情3番目に若いという。前日は緊張で夜中に目が覚めたらしい。それでも久保は気持ちよく試合に入ることができた。敵地で温かく迎えられたからだ。

 「自分がフロンターレ(川崎)に大したことをした訳でもないのに、拍手までもらっちゃっていいのかなという気持ちもありました」

 原点はこの町にあった。川崎市で生まれ、11年にスペインに渡るまで小学3年からの2年弱、川崎の下部組織でプレーした。川崎のホーム・等々力に足を運んだ人たちにとっては、久保もまた“息子”の1人なのだろう。

 感謝は自らのプレーによって返した。それも、攻守両面で。173センチ、67キロの体は明らかに厚みを増した。力強さが備わったことで、かつては課題といわれた体を張った守備でも飛躍的な進化を見せた。

 前半39分、日本代表経験もある川崎の左サイドバック車屋紳太郎との1対1は圧巻だった。突破を試みる車屋に体を当てて懐に潜り込むと、そのままターン。ドリブルで持ち上がると、永井謙佑を走らせるスルーパスを繰り出した。ボールは素晴らしい判断でペナルティーエリアを飛び出したGKチョン・ソンリョンにクリアされたが、ピンチを一瞬でチャンスに変えたプレーは、スタジアムをどよめかせた。

 体をつぶされる心配がなければ、持った技術とイメージを問題なくピッチに披露できる。ドリブルで仕掛けるだけでなく、スペースを見つけてスルーパスも出せる。そして、その左足には必殺のFKを秘める。開始6分に繰り出したドリブルからのラストパスは、ディエゴオリベイラのキックが確実にミートしてさえいれば先制点となったはずだ。さらに前半41分にニアポストを直撃したペナルティーエリア右から狙った直接FK。「イメージはもっと左だった」というボールが少しずれていればJ1での自身2点目となったはずだった。

 自身最長となる77分間のプレー。試合は0―0のドローだったが、久保という存在があったことで試合は楽しいものとなった。FC東京の攻撃は、常にボールが集まる久保から始まった。その意味で17歳の若者はすでにチームには欠かせない存在となったのではないだろうか。

 試合後、長谷川健太監督から送られたのは最高の賛辞だった。

 「素晴らしいの一言」

 「すべてが成長している」

 「子供のメンタルだったのが、大人のメンタルに変わりつつある」

 そして自らがG大阪時代に指導した日本代表の堂安律(フローニンゲン)を例に出し「堂安が欧州に行く前のレベルにきているな、と」と語った。

 昨年、長谷川体制下では信頼を得られずリーグでわずか4試合、58分の出場に止まった。それが横浜Mへの移籍を決断させた。それからわずか半年。久保は自らの力で、チーム内の信頼を勝ち取った。

 「自分で言うより他人の評価が一番だと思うんで。長谷川監督に良い評価をしてもらうために自分も練習から頑張っています」

 真の姿を見せ始めた本物の才能。できるなら、欧州までの航空券代がかかる前に見ておいた方が良い。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はロシア大会で7大会目。

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