「MrでもMsでもなく『Mx(メックス)』を使ってください。人称代名詞はTheyにしてくださいね」―。男女どちらでもない「中立の性別」のその人は、こう笑顔で話した。
中立の性別の性自認を英語でノンバイナリーといい、日本では「Xジェンダー」と呼ばれることが多い。
ノンバイナリーのカナダの人権活動家、ジェマ・ヒッキーさん(42)は2017年末、同国で初めてノンバイナリーを示す「X」の出生証明書を受け取った人物と言われる。Xの旅券も持ち、「自分の痛みや経験をシェアすることが社会や人々を変えていく」と世界を飛び回る。
2月中旬には在日カナダ大使館の招きで初来日。講演や交流イベントでは、カトリックの聖職者から性的暴行を受けた昔の経験も明かし、共同通信とのインタビューで「男でも女でもなく、自分自身でありたい」との思いを語った。
▽違和感、セラピー、そして自殺未遂
1976年、東部ニューファンドランド・ラブラドル州に生まれた。小さい頃から「自分は何かが違う」と感じていた。男の子の格好を好み、母親にワンピースを着せられるたびに脱ぎ捨てた。「母はとても美しく、小柄で、フェミニンな女性。彼女は私に、母のような少女であってほしいと思っていた」。でも自分を男だと思っていたし、好きになるのも女の子だった。
家族や社会全体、カトリックの教えからの強い抑圧を感じ、怒りを抱えながら育った。だがいつしか女性の服を拒むのをやめ、「あるべき姿」に自分をはめこもうとするようになる。
10代では男の子とデートもしてみたがしっくりこなかった。性的指向を転換させるセラピーにも通った。でも「まったく役に立たなかった」。精神的に追い詰められ、友人とのパーティーで浴びるように酒と薬を飲み、自殺を図った。
一命を取り留め、退院後、レズビアンだとカミングアウト。自分と同じ苦しみを味わってほしくないと、性的少数者の若者を支援する活動を始めた。「幸運にも、家族も友人も理解し支えてくれた」と話す。
▽体の声に耳を澄ませて
ジェマさんはカナダで同性婚合法化を実現した活動家の一人としても知られる。若い頃はトランスジェンダーという言葉になじみがなく、違和感を持ちながらも「自分は同性愛者なんだ」と決めて生き、性自認については考えないようにしてきた。ただ、レズビアンという「ラベル」にしっくりきていたわけではなかった。
転機は15年夏。聖職者による性的虐待の問題への関心を高めるため、ニューファンドランド島で938㌔を自らの足で踏破するイベントを実施した。
10カ月の事前トレーニングで体重は約34キロ減。体を鍛え、長距離を歩いたこの体験が「体の声を聴く」きっかけになった。
疲労が蓄積し、痛む足腰を動かしてウオークイベントを続けるうち、幼い頃に違和感しかなかった自分の体と向き合い始めた。性的虐待という「傷」がよみがえり、「その傷は今もまだ続いている」とも自覚した。ある日、嵐を抜けて虹の中に歩み入った時に思った。「どうして一つの性別を選ばなくちゃいけないんだろう」「なぜ、ただ自分自身として生きてはいけない?」
父がイタリアの聖人にちなみつけてくれた「ジェマ」は女性名だが、好きだし、変えたくない。二つの性のどちらかに区別される必要はない。体を男性に近づけ、男性のように振る舞いつつ、性自認としてはノンバイナリーとして生きると決めた。
▽Just Be Gemma
この時、38歳。トランスジェンダーでは、もっと早く性転換を始める人も多い。「自分を女性だと感じたことはないが、女性として生まれてきたことは確かで、長年、社会で女性として生きてきた。その自分も手放したくない」と話す。
「『ジェマ』を作り上げてきたものすべて」が大切だ。「白と黒、男と女。二分して考えがちだが、性自認や性別とは、境界があいまいで流動的なもの」と感じている。
2015年12月にホルモン治療を始め、17年1月、手術で乳房を切除。体を男性に近づけるこの過程に密着したドキュメンタリー「Just Be Gemma」は17年9月、カナダ放送協会(CBC)で放映された。
「私は最近まで『タチ(男役)のレズビアン』だった」「(自分の乳房に)嫌悪感がある」―。赤裸々にカメラに語った。撮影期間中、恋人の女性と破局し、手術直前には祖母を亡くした。「ジェマは男の子よ」と昔から分かってくれていた最大の理解者。題名は、ノンバイナリーとして生きると決めた時に祖母がくれた言葉だという。
「撮影で自分をさらけ出すことにためらいはなかったですか」と記者が問うと、少し考えてから口を開いた。「オープンにすることが私の社会的責任だと強く思っている」。近年、性的少数者に寛容な制度改革が急速に進むカナダでも、社会のありようや人々の考え方は急には変わらないと感じる。そして、だからこそ、自らの痛みと思いを広く知ってほしいとも。
▽理解できずとも、思いやりと尊敬を
旅券の性別が「F」だった頃。男性的な見た目から、海外の空港でしょっちゅうセキュリティーに止められ、客室乗務員にとがめられた。「話せば分かってもらえるし、最後はハグで終わる。みんな私の名前も覚えてくれたし」。どんな体験にも本人は前向きだが、同行していた母は耐えられず泣きだしてしまったこともある。
Xの旅券を昨年10月に交付され、ドイツへ渡航。「何の問題も起きず、本当にすばらしかったよ」と振り返る。出生証明書に基づき、運転免許などもXだ。
出生証明書の記載変更を求め訴えを起こしたことが、地元州政府による制度変更につながった。個人のアイデンティティーに関わる身分証には、選択肢をつくることが必要だと強調する。
同性婚は形としては異性婚に似ているし、体の性別を変えることもまだ理解されやすいかもしれない。だがノンバイナリーを分かってもらうのは難しく、人々は混乱するだろうと考える。それでも講演などのたびにこう話すことにしている。
「理解できなくても、思いやりと尊敬を持つことはできる。私たちは異なっていても、喜びや悲しみ、痛みは同じだから」(共同通信=鮎川佳苗)
▽取材を終えて
「母はすごい美人なんだ。ここにいる皆さんみたいにね」「ウオークイベントの頃の体重に切実に戻りたいよ」。ジョークをはさみつつ、真摯(しんし)に取材に応じてくれた。向き合う相手をリラックスさせる、懐の大きな人柄を感じた。
取材の翌日、ちょうど日本では、同性婚を認めないのは憲法違反だと訴える訴訟が各地で起こされた。今では広く認識されるようになってきた性の多様性。その実態に応じた選択肢を用意することはそんなに難しいだろうか。
今は新たな恋人と順調に交際しているというジェマさん。「6月に結婚します」。交流イベントで報告し、お祝いの拍手に包まれた笑顔が印象に残っている。(終わり)