麥田俊一の偏愛的モード私観 第2話「マラミュート」

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2019SS(左)、2015SS(右)PHOTO:Eiki Mori

 …いけない、こりゃいけない。そんな時にはいつも自身の内でそう囁く声が聴こえる。ぼんやり「危険」を伝えるいつもの声だ。だが、私にはそれを打ち棄てる勇気はない。それどころか、病的と思えるほど己が恥の上塗りを重ねてみたい衝動を抑えることが出来ない。何かを見失いたくないから、私は、ドシドシ相手の内側に踏み込む式の(不躾なまでの)遣り取りを取材の手段としてきた。それがためか、インタビューの前後で、決まってやり切れぬ鬱屈を抱え込むのだった。

 性格の歪みが因でいつしか他人との距離を計れぬ人間にも出来上がってしまった私の、他者との唯一たる対話らしき営み(最小限のエチケットは弁えている)と云ったら、こうした取材の現場でしか成就しないことは(寂しいけれど)端より承知している。

 ファッションの面白さを語る、と云うと大雑把過ぎて眉唾だから、服を作るそのひとの深みに潜り込むことで、ファッションなるモノの奥行きを(読者の皆様と一緒に)探ってみたいと、そんな願いが私の仕事の原動力にもなっている。現象(流行)や物(服)の興味以上にひとに興味を持っているからかも知れない。コミュニケーションが苦手なくせに空想癖だけは逞しいのだ。

 

 此度は「マラミュート」の小高真理。ブランド開始は2014年。ニット製作を得手とする。前回紹介した竹島 綾同様、まだ知名度こそ低いが、服に対する気合いは余人を凌ぐレベルにあり、まぁ私の意中のひとでもある。

 とりわけ独立不覊のデザイナーにとって、一回のファッションショーを賄う費用は並大抵ではない。よしんば支援があったとて容易には出来ないし、商売規模を考えると慎重にならざるを得ないのだが、2018年10月、小高は初めてショーを敢行した。そしてショーは十全に練られた内容だったから、本来なら如何に素晴らしかったかを詳らかにしなければと思うのだが、ここでは敢えて違う視点で話を進めてみたい。

 デビュー直後の小高の服は、ほっこりしていて、未だ手の温もり冷めやらぬと云うか、作り手の体温がそのまま服地に残っているような塩梅だったが、ふと気が付けば、ヒールの似合う歴とした女を覗かせもする艶っぽさを時折見せるまでになってきた。思うに、本人も殻を破ろうと必死に足掻いているのだろう。発展は認めるが、正直ショーで見せるには、ちと尚早とも感じていた。しかしその一方で、ショーと云う発表形式こそ、必ずや今の本人の心の援軍になるだろうとの確信めいた思いもあった。たとえ服が如何物であったとて「ここらで一発ショーでもしないと、このブランド、ダメかも知れねえなぁ」との夜郎自大な思いを私は抱き続けていたのだ。そして過日のことである。内なる警告を尻目に「実はねぇ…こう思っているんさ」と、私は本人の眼前でまたぞろ例の「対話」を始めてしまったわけだ。

 小高は、新進の写真家、森 栄喜との共同作業でビジュアル制作を続けてきた。協業は2シーズン目より始まり現在も続いている。ちょっと見、粗削りな判り易い内容を平易な口調で書き殴っていても、そこには一点、確たる誠実さを常に秘めているような芯の強さが横たわっていて(本人は至って小柄なのだが)凛としている。そもそも彼女の服は、そんななのだ。様々な変奏で幾度も奏でられてきた主題(服作りの動機と換言しても良い)は、件の写真家との協業で確かに恰幅を付けてきた。しかしそれにも限界はある。所謂、マンネリズムのループだ。このまま閉じられた環の中で表現していては更なる発展は望めない。私はそう思った。つまり「見られること」から「見せること」に踏み込む時期が来たと覚った。実際、ジレンマを感じていた、と本人も吐露している。この機にショーを敢行したのはまさに英断だった。

 ひょっとしたものが、ひょっとした流れに乗ってゆったりと動いて行く。そんな感じがショーを通貫していた。この不思議な浮遊感は「記憶」と云う概念が解を与えてくれる。テーマは「Re:」。メール返信の標題に加えて「re-born(再生した)」「re-visit(再訪する)」をイメージしている。小高曰く、「パソコンをクリックしてメールを開く感じ。それもラインよりはメールの交信かな。手軽さやスピード感はあるけれど『記憶』にはラインのようには軽々しく扱えない『何か』が宿っているから。初めてショーをやるにあたり、服を作る動機に立ち返ってみた。過去の自分と現在の自分を距てる膨大な時間に刻まれたのは成長だけではない筈。『Re:』には(失い、退化したもの含めて)堆積した時間を『re-pair(修復)』する意も重ねてみた」

 丁度今頃は2回目のショーに向け追い込みの最中だろう。きっと一筋の曙光めいたものの灯った感覚が彼女の内に生じている筈である。今度こそは服と対話しようと云う気持(はら)で私はいる。(麥田俊一、ファッションジャーナリスト)