訪日した南京大虐殺記念館長が語った「メディアの役割」 第2部

南京大虐殺記念館でメモを取る子どもたち=南京(共同)

 来日滞在中の南京大虐殺記念館の張建軍館長は2月20日午後、「立命館大国際平和ミュージアム」(京都市北区)を訪れ、安斎育郎名誉館長(元館長)の案内で館内を見学した。安斎氏は「ここは被害の歴史だけでなく、加害の歴史も展示している」と明言する。南京でフィールドワークに臨んだ際、指導教官から「日本では被害の歴史は多く学ぶが、加害の歴史を学ぶ機会は少ない」と言われた言葉と重なる。

 共通の歴史認識を持つために何が必要か。中国などへの侵略戦争に踏み切った過去を持つ日本人にとっては、被害とともに加害の歴史も学ぶ態度も大切になるだろう。平和を考える人々の間ではこうした価値観が広く共有されていると改めて感じた。(共同通信=大阪社会部・市川真也) 

 ▽「平和」の展示 

 日本と中国でそれぞれ戦争博物館の「館長」という役割を担う安斎氏と張館長の間で、もう一つ共有された話題があった。「『戦争』を展示するのは比較的簡単。けれども『平和』の展示は非常に難しい」。安斎氏がつぶやいた言葉に、張館長が大きくうなずいた場面。安斎氏は「戦争はヘルメット一つ置いておけば分かる」と言った。

 張館長が同意した真意を移動の車中で尋ねると、「戦争は過去のもので、遺留品や資料などの実物があれば展示するのは簡単だ。平和とは身近なものだが、つかみどころのない抽象的な言葉でもある」とよどみなく答えた。「良い展示とは、見終わった後の見学者が平和の大切さを実感できる展示のことだ」

張館長(左)に立命館大国際平和ミュージアムを案内する安斎名誉館長(右)

 南京大虐殺記念館の展示対象は「南京大虐殺」に限られ、その意味では中国が受けた被害の歴史だけを展示しているのかもしれない。だが平和を希求する張館長の気持ちは、安斎氏と何ら変わりない。今回の来日は、自らが「平和の旅」と名付けたように、歴史の共通理解と平和のコミュニケーションを図りにきたと意義づけられるだろう。 

 ▽史実、記憶を後世に 

 張館長は翌21日、立命館大の大阪いばらきキャンパス(大阪府茨木市)で開催された「第3回日中平和学対話」に参加。冒頭に「南京は国際平和都市です。過去に悲しい歴史があったことは皆さんに覚えていてもらいたいが、今は平和教育の街です」とあいさつし、「このような平和を考える会を南京でも催したい」と意気込んだ。

 日本人研究者による基調講演や質疑応答で頻繁に出た話題は、「いかに若者に関心を持ってもらうか」だった。戦争を直接知る人は年々減少。「南京大虐殺」の当事者も、存命の人はわずかしか残っていない。実際にあの現場を経験した人が語る言葉ほど生々しく、訴求力があるものはないが、もはや望むべくもない。

 史実や記憶をいかに後世に残すか。特に若い世代への継承は平和を考える上で外せない。張館長は「われわれ記念館は、やるべきことをずっとやってきた」と胸を張る。被害者の証言をしっかりと書き留め、亡くなった後も残る記録を保存していくことに他ならない。

 南京大虐殺記念館では「国際平和学校」を作り、主に外国人の高校生や大学生に向けての平和教育に取り組んでいるといい、昨年は約3千人が学んだ。張館長が就任する前の記念館を知る関係者からは「新館長になって、特に平和教育に力を入れているのがよく分かる」と評判だ。

 私も含めて最近の日本の若者は、張館長が平和のために重要だと語ったマスメディアからも、平和教育からもいよいよ距離が遠いように感じる。戦争を直接体験していない世代から「偏向」や「偽善的」と言われてしまっている最近のマスメディアや平和教育が、再び信頼と意義を取り戻すにはどうすべきなのだろうか。

 正解はないかもしれない。ただ張館長が指摘するように、事実を曖昧にせず歴史的証言を愚直に語り継ぐことが一つ挙げられるだろう。私が2016年、南京で生存者に話を聞いたときは、当地でメディア学を専攻する学生たちと一緒だった。彼らは常にビデオカメラを回し、生存者の生活の様子なども記録していた。既に「南京大虐殺」から80年以上の月日が経過し、今はもう亡くなった人もいるかもしれない。あの時、私たちが記録した写真や動画、証言はやがて歴史上の重要な史料となるだろう。 

2019年2月20日、取材を受ける張館長

 ▽自分の頭で判断したい 

 「大虐殺」との評価を巡っては、犠牲者の数は重要な要素かもしれない。だが、数の大小にかかわらず、目の前で大切な肉親が理不尽に殺されたと証言する人が多数いるのに、虐殺が「なかった」とは到底言えない。あったかなかったかで衝突するのは無意味で、「虐殺は確かにあったが、その詳細や規模については、歴史研究により、どこまで明らかになったといえるのか」と議論を展開することにこそ意味がある。

 現状、南京事件をめぐる両国間の歴史認識や歴史観は対話も難しいほどに溝が深い。戦後レジームからの脱却が叫ばれ、歴史修正主義が台頭しているとされる日本。独裁体制で国家が歴史観を掌握している中国。歴史は譲れぬものであり、すぐに政治問題と直結する。機微に触れる問題は深く考えず、自国の言説だけを無批判に信じる。日本で「南京大虐殺」について同世代の友人と話すと、反応はいつも冷ややか。「虐殺なんて中国が勝手に言ってるだけ」「なぜあったと言い切れる」。私は「現地に行って当事者に話を聞いた」と答えることにしている。「その当事者もうそつきだろ」と批判を重ねる人もいるかもしれない。ただ、うそかどうかの判断は実際に証言者の話を聞き、自分の頭で判断したい。

 「日本が過去の罪を認めることは何のマイナスにもならない」と話す張館長。こうした歴史認識の膠着状態を乗り越える手だてとして、「平和を広報し、レッテルを貼り合わないことだ」と提案した。だが、国を背負う立場にあってはそれも難しいだろう。解決の糸口は、日中の市民団体などが民間レベルで長年続けてきた草の根の交流にあると思う。

 2日間行動をともにして実感したのは、当初こそピリピリした空気が流れたが、終わってみれば率直な意見を交換し合えたという手応えだった。張館長は「知識がない人は語るべきではない」との居丈高な態度ではなく、「分からないことは現地に来て何でも聞いて」という開かれた姿勢だった。

 「日本でもこういう言葉があるでしょう。『百聞不如一見』(百聞は一見にしかず)。それが大事」と話す張館長は、心から日本人の訪問を待ち望んでいた。

 「中国語が分からない」という人も諦める必要はない。80年を機にリニューアルした記念館の展示には日本語訳も付けられている。このことからも分かるように、記念館は日本人を拒絶などしていない。さまざまな意見や論争があるが、とにかく現地に行ってみることが大切だ。それこそが張館長をはじめ、平和を求める人々の願いに他ならない。

南京に入城する兵士たち=1937年(資料写真)

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