3.11で窯元が避難地域に~それでも伝統品を作り続けた男性のストーリー

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番組スタッフが取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしている【10時のグッとストーリー】

きょうは、震災による原発事故で避難地域に指定されながら、別の地域を拠点に伝統の焼き物を作り続けている窯元のグッとストーリーです。

大堀相馬焼の湯飲みと茶椀 馬とひびが特徴

福島県双葉郡浪江町。この町の大堀地区には、江戸時代から300年以上の歴史を持つ「大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)」という伝統工芸品があります。

綺麗なヒビが入った独特の模様と、江戸時代、相馬藩のシンボルでもあった「走る馬の絵」。底が二重になっていて、熱いお茶を入れてもすぐ持てる「二重焼」と言う、他の焼き物にはない3つの特徴を持つ大堀相馬焼。大堀では砥山石と言う、それだけで釉薬の原料になる特殊な石が採れたことも、この土地で焼き物が盛んになった大きな理由でした。

しかし、2011年3月11日……東日本大震災と、その後発生した福島第一原発の事故に見舞われた大堀周辺は、震災翌日に避難指示が出され、人が立ち入れない区域になってしまいました。

大堀相馬焼・協同組合理事長の 小野田利治 さん

「そのときは、すぐに帰れるだろうと思っていたんですが、まさかこんなに長引くとは…」

そう語るのは、大堀相馬焼・協同組合理事長の 小野田利治さん・56歳。窯で作業をしている最中に、震度6強の大きな揺れに見舞われた小野田さん。着の身着のまま避難し、その後も避難地域の拡大によって、あちこちを転々とする生活が続きました。

震災から2ヵ月後、ようやく大堀周辺は一時立ち入りが認められましたが、小野田さんは自宅から思い出の品を持ち出すのが精いっぱい。先の見えない避難生活が1年近く続きました。何より辛かったのは、窯に入れないこと。

「土をこねて、ろくろを回していないと、何か手が寂しいんですよね……」

江戸時代から代々継承されて来た窯元の家に生まれ、高校を卒業してから35年以上、大堀相馬焼を作り続けて来た小野田さんにとっては、身を切られるように辛い出来事でした。

何とかもう1度、窯を再開したいと考えていた小野田さん。以前、陶芸教室で教えていた生徒から「使っていない土地があるので、そこに窯を作りませんか?」という話をもらい、震災翌年の2012年7月、福島県いわき市に仮の新しい工房を作り、製作を再開しました。

しかし大堀とは違う土地での再開には、様々な困難もありました。いちばんの問題は、大堀相馬焼に欠かせない砥山石が手に入らなくなったこと。

「あの石は山の上で採れるんですが、放射線量が高くて、立ち入ることができないんです」

大堀相馬焼のコーヒーカップ

大堀相馬焼・協同組合は、会津の研究施設に同じような釉薬が作れないか依頼。6種類ぐらいの原料を混ぜ合わせれば砥山石に近い釉薬が作れることが判明し、震災前にかなり近い仕上がりの焼き物を作ることができるようになりました。小野田さんのように、他の土地で製作を再開する窯元も増え、現在は8軒の窯元が福島県内で大堀相馬焼を製作しています。

製作再開と同時に、組合は江戸時代からの伝統を絶やさないように、新しい試みも開始。福島県と協力して「地域おこし協力隊」の制度を使い、大堀相馬焼を学びたい若い人たちの募集を始めました。もともと震災前から窯元の高齢化が進み、後継者難に悩んでいたこともあり、新しい血を入れようと現在3人の若い世代が窯元で一から修行を始めています。

2017年3月、浪江町は一部地域を除き避難指示は解除されましたが、大堀相馬焼の窯元があった地域は現在も立ち入りが制限されています。この年、いわき市から本宮市に窯を移転しましたが、ゆくゆくは浪江町にも組合の拠点を作りたいと言う小野田さん。陶芸教室なども通じて、大堀相馬焼をPRし続けています。

「いまはまだ浪江町に戻って来る人は少ないですし、戻るにはまだまだ時間が掛かりますが、大堀の名前がついた工芸品が続いて行くことで、住民の方々も励みになると思うんです。これからも大堀相馬焼の伝統を絶やさないよう頑張って行きたいですね」

八木亜希子 LOVE&MELODY
FM93AM1242ニッポン放送 土曜 8:00-10:50

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