大川小の悲劇「救えた命」だから語る 遺族の元中学教諭

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津波で被害を受けた大川小校舎前で、震災当時の状況を説明する佐藤敏郎さん=8日午後、宮城県石巻市釜谷(撮影・吉田敦史)

 児童74人、教職員10人が亡くなり、東日本大震災時に学校管理下で起きた最大の被害を招いた宮城県石巻市立大川小学校。ここで6年生の次女みずほさん=当時(12)=を亡くした元中学教諭佐藤敏郎さん(55)は、震災の教訓を伝える語り部となった。大川小でガイドを続け、全国で講演を重ね命の尊さを訴える。教育現場での事故という側面から、学校の対応や裁判に焦点が当たるが、「楽しく学び、遊んだ小さな輝く命があったことを想像してほしい。命を救えるのは、いざというときの判断と行動」と語る。

 卒業式1週間前だった2011年3月11日。みずほさんにとって、待ちに待った中学の制服が届く予定だった。地震後の約50分、校庭に待機させられた児童は列になり小道を通り、北上川の方へ向かったが、既に川の水はあふれていた。

 学校の裏山に逃げていれば-。毎年シイタケ栽培の体験学習で利用するほど身近で、傾斜も緩かった。佐藤さんは「時間も手段も、大津波警報も、全てそろっていた。それでも、組織として意思決定できなかった」と話す。

 15年3月に退職。震災を伝える語り部となり、命の意味を考え続ける。教諭だった立場からは「救いたかった命」。保護者の一人としては「救ってほしかった命」であり、結果的に「救えた命」だった。当時の対応など、いまだ多くの疑問が尽きない。佐藤さんは原告に加わっていないが、児童23人の遺族が損害賠償を求めた訴訟は、組織的過失を認定した二審判決に県と市が上告し、係争が続く。

 大川小で8日、防災を研究する大学生らを前に、佐藤さんが語り始めた。ほぼ全児童が一輪車に乗れたこと。校歌には珍しく「未来を拓(ひら)く」というタイトルが付いていたこと。「あの日」までの姿を明るく語る。

 倒壊した渡り廊下の柱や、外から丸見えとなった教室が残る校舎を巡る。昨年3月に閉校となったが、ごみは一つもない。住民や訪問者らが清掃している。

 「震災遺構である前に学校なんです。阪神・淡路もそうだった。誰も被災地になるとも、遺族や遺構になるとも思っていなかった」

 児童が避難することのなかった裏山で、佐藤さんは力を込めた。「山は命を守ってくれない。山に登る判断と行動こそが命を守る」

 次の犠牲者を出さないために。大川小の出来事をわがこととしてもらうために、語り続ける。壊れた学校の壁面を前に「ここが未来を拓く場所になれば」と願う。(竹本拓也)