「助けられず、つらかった」 消防職員が被災地体験を回顧

東日本大震災での活動について語る(左から)佐藤さん、太田さん、安西さん =横浜市民防災センター

 東日本大震災から8年を迎えるのを前に、津波で甚大な被害を受けた仙台市内などで救助活動に当たった消防職員らが10日、横浜市民防災センター(同市神奈川区)で対談した。職員らは被災地での経験を振り返り、当時抱いた思いを吐露した。

 「東日本大震災での真実」と題し、元仙台市消防局太白消防署予防係長の太田千尋さん(62)と、横浜市消防局の安西隆雄さん(54)、同市青葉区役所の佐藤靖彦さん(45)が登壇した。

 太田さんは震災後、密集していた家屋が津波で全て流された仙台市内の住宅地に出動した。がれきの中から助けを求める声がいくつも聞こえたが、現場が広すぎて場所を特定できなかった。太田さんは「助けたくても助けられず、声がだんだん小さくなる。命を助けることが仕事なのに、つらかった」と回顧した。

 特別高度救助部隊隊長だった安西さんは、緊急消防援助隊神奈川県隊として同市宮城野区に派遣された。余震が続く中、隊員の安全を確保しながら、行方不明者の捜索と救助を担当。遺体が発見されるたび、隊員は持っていた飲料水などで犠牲者の泥だらけの顔をきれいに洗ったという。安西さんは「限られた人員の一人一人が、できることを全力で活動した」と話した。

 佐藤さんは当時、都筑消防署仲町台特別救助隊隊長。横浜市内で、2階建ての1階がつぶれた建物に取り残された人を救い出した。屋上に救助用の穴を開ける作業が余震でたびたび中断し、救助に約2時間かかった。「取り残されていた人の頭が穴から出てきた瞬間、心からほっとした」と語った。

 震災から8年がたち、市民の防災意識が薄れつつあるとも指摘されるが、太田さんは「災害時の対応のためにも、普段から顔の見えるいい関係が地域では大切になる」と締めくくった。

© 株式会社神奈川新聞社