東日本大震災で実践できたBCP〜被災しても継続できる体制作り〜 株式会社オイルプラントナトリ 常務取締役 星野 豊氏

東日本大震災での対応を語る星野氏

1月24日・東京都中小企業振興公社フォーラムより

当社の創業は昭和32年(1957年)、法人化が63年(1988年)。エンジンオイルなどを集めてきて、再生重油に加工処理して販売しています。そのほか、特殊なものでは、酸やアルカリを集めてきてブレンドし、セメント工場で使える加工用水にリサイクルしています。

営業エリアは、東北6県のほか、リーマンショックのときに北関東4都県の許可をとりまして、東京、神奈川、千葉、静岡ともご縁をいただき、少しずつ事業展開を広げてきましたが、震災後は事業の効率化を踏まえながらやっています。現在の役職員数は45名です。

平成13年(2001年)に環境のISO14001を申請登録。BCPは平成23年(2011年)1月にマニュアル策定ということで、まさにマニュアルを作って2カ月後に震災を受けました。BCPの取り組みは、宮城県がBCP策定支援を始めましたので、専門家診断をしてもらいながら進めました。システムを作るのに費用は10万円もかかっていません。

BCP策定にあたり、当社の中核事業は、「再生重油」「油水加工」と決定しました。想定されるリスクは、宮城県沖地震による施設の破壊等、火災・廃油漏洩等、新型インフルエンザによる職員の欠勤です。これらのリスクを踏まえ、ISOの環境マネジメントシステムの「自然災害時のリスクマネジメントの取り組み」、再生重油等やバイオ燃料の安定供給、さらに防災や危機管理の取り組みによる企業イメージアップ、宮城県沖地震が30年以内に99%の確率で発生するということに対応する必要性からBCPに取り組んでいます。

BCPのマニュアルですが、シンプルイズベストを目標に、なるべく簡単に作っています。基本方針は、「事業の継続・早期復旧に努める」「従業員を守る」「地域の活力を守る」ということで、自社対策の目処が立ちしだい地域の支援等を行うということを、実際に東日本大震災でも実行しました。

BCPの連携体制では、岩手、山形、福島の同業者に代替製造をお願いすることができました。自分たちが原料を集めてそこに持って行き、製品を作ってもらい、自分たちで販売するという体制を始めております。

社内研修は年4回実施しています。小さな活動をこつこつと毎年繰り返し、折に触れて、何かしら絡めながらやっています。

実際の地震発生後の対応ですが、建物や設備は震度6強の地震でも問題ありませんでした。しかし、津波にはやられました。震災前は工場の周りに住宅地も結構ありましたが、現状は住民が住めない地域になっています。だいたい4~5mの水を被りました。

良かった部分としては、地盤にしっかりお金をかけた体制にしていたため、地盤が沈下しませんでした。そのまま地盤を使えたほか、タンクが何機か使えたことが復旧に大きく役立ちました。機械類が破損したり、タンクローリーが流されたりしましたが、人的被害はありませんでした。また、自分たちのプラントのほとんどを自分たちで直すことが出来ました。

売り上げが立つように仕組みを作ることがBCPです。3・11の際、3月は10日分程の売り上げしかたっていませんが、4~5月とボランティアをしながらも少しずつ仕事をしていましたので、売り上げは0にならず、5~6月はむしろ復興需要で利益も出ました。

(了)

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