第23回「バキバキに割れたスマホの画面やこの人を知りませんかの似顔絵ポスターの話をしていたい」

黄色いふわふわといったらなにを思い浮かべますか? こんにちは、朗読詩人の成宮アイコです。

友達に質問をしたら、ヒヨコ8割・その他バラバラでした。こんなふわっとした質問だったら、そりゃバラバラになりますよね。多少、ヒヨコが強いけど。

ちなみにわたしが思い浮かべた黄色いふわふわは、“明石焼”です。

なぜこんなお話をしているかと言うと、「黄色いふわふわ」のような、想像の余地のある抽象的な言葉ばかりが美しいとされないでほしいなと願うからです。

わたしは、大きな空のことや長い命のことではなくて、スマホの画面がバキバキに割れているところや、駅の改札を出たところにある「この人を知りませんか」の似顔絵ポスターだとかのことを話していたい。それは、想像の余地のないはっきりとした風景を見て、それぞれ違うことを思うことが愛おしいからです。だからわたしは、「新宿駅中央東口の改札前に貼ってある人探しのポスターの絵がこわいよね」と言って、「うちのおばあちゃんに似てる」だとか「好きだった“魔女図鑑”っていう絵本の主人公に似てる。好きすぎてほうきで飛ぶ練習をしてた」だとか、それぞれがどう感じたのかというお話が聞きたいのです。

たとえば明石焼にしても、わたしはあまり好きではないので、「べちゃっとしている意味がわからない」と思うのですが、ある人は「自分は好きじゃなかったけど、神戸の人と付き合っていたときにけっこう食べに行ってた。でも何回食べてもおいしくないままだったなー」という話をしていて、あーすごくいいなと思いました。その人だけのエピソードってなんだか妙にグっとくるし、リアルに想像ができます。

ほかにも、来年になったら「ウケる、懐かしい〜」と言われてしまいそうな瞬間的にだけ圧倒的価値のある言葉(たとえばネットスラング)も、妙に叙情的で好きです。

同時に、他人のフィルターを通して自分を感じることもあります。

自分がなにか失敗をしたときには「やっぱりわたしはダメだ、まじ死んだほうがいい」とまで思うくせに、他人の失敗には「でもあなた超頑張ってんじゃん! そんなのこっちは断然応援するし!」なんて思う。そこでハッとして、「あれ…? あのときの自分だって…頑張ってた…よね」と思えてしまうことがあります。人が頑張って生きてることが愛おしいなと思うと、その人に似ている自分もほんの少しだけ大切に思える。それが一瞬のことだったとしても、意味のある一瞬です。

人にはそれぞれ年齢の分だけの思い出や選択があって、同じものを食べても同じ風景を見ても、別々のことを感じます。だから、明石焼が好きだったり嫌いだったり、ポケットに入れたイヤホンが断線してしまったり、階段の最後の段を踏み外してしまったりするとても詩にはならないようなわたしたちの生活だってたぶんちゃんと美しいし、そうであってくれないと困っちゃうな。

この文章だって、「できるだけ多くの人に届きますように」ではなくて、ひとりで来たライブハウスで開演までの時間をとりあえずライブスケジュールをくまなく読んで過ごす人や、わいわいするのが苦手で人が集まるところでなんとなくポツンとして爪をいじってみたりする人に読んでもらえますようにと思って書いています。

それってつまり、あなたに似ているわたしのような人のことです。

Aico Narumiya Profile

朗読詩人。朗読ライブが『スーパーニュース』や『朝日新聞』に取り上げられ、新潟・東京・大阪を中心に全国で興行。2017年に書籍『あなたとわたしのドキュメンタリー』(書肆侃侃房)刊行。「生きづらさ」や「メンタルヘルス」をテーマに文章を書いている。ニュースサイト『TABLO』、『EX大衆 web』でも連載中。

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