次なる広域複合災害に向けた3.11の教訓とは 株式会社白謙蒲鉾店 常務取締役 総合管理本部 本部長 白出 雄太氏

東日本大震災での教訓とその後の取り組みについて語った白出氏

1月24日・東京都中小企業振興公社フォーラムより

当社は大正元年(1912年)4月の創業、今年で108年目を迎える魚肉練製品製造販売業を行う会社です。商品は現在42品目ほどを製造販売しており、宮城名産の笹蒲鉾をはじめ、揚げ蒲鉾、手作り商品も作っています。工場拠点はすべて宮城県石巻市にあり、この工場すべてが被災するというかたちになりました。

石巻市では、1960年のチリ沖で起きた遠地津波と今回の近地津波を混同してしまった結果、心のブレーキがかかって自宅から出ない方が多くおられました。また、震災前のハザードマップでは、昭和三陸地震が津波予測の震源地となっており、仙台湾や石巻湾の津波の浸水高はだいぶ低めに想定されていたことが、3.11からの教訓です。

東日本大震災発生時、私自身も工場にいて50名ほどで籠城していましたが、最大6mの浸水を記録しました。経営陣は各事業所におり、最終的に「全員留まれ」という指示を出したことで、就業中の者は全員無事でした。3日目には、休んでいた社員が釣り船を拾って助けに来てくれて、自力で避難を遂げました。津波が引いた後、ヘドロなど津波の堆積物の除去作業を行い、被災をしたメイン工場ではなく、古くからある本店地区の工場が無事だったことから、4月17日にそちらで製造を再開しました。

東日本大震災からの教訓としては、敷地的にも全部、津波堆積物が集積してひどいことになり、従業員だけでは対応できなかったことから、地元建設会社にチームを作っていただき、最大1日150名体制で津波の堆積物を乾燥させる前に、洗浄消毒を徹底的に行っていただきました。また、大手ゼネコンや全国企業の皆様に、現地調達が困難なものを徹底的に準備していただき、そのおかげで現地の復旧が可能となりました。

もう一つの教訓としては、中小企業ですので全員の面接に参加しており、誰がどこに住んでいるのかを事前に把握していたため、危ない地域に住む者を帰宅させずに残すという判断に迷いませんでした。

事業継続活動に取り組んだきっかけは、東日本大震災において安全配慮義務違反が問われ、経営陣の不在時、あるいは通信手段が遮断された場合の応急対応を作ったほうがいいということで、日本政策投資銀行の紹介でISO 22301を開始し、2014年2月に認証取得しました。若手メンバーをどんどん入れ、安全配慮義務とリンクした活動にしたところが特徴です。マニュアルは現在、第10版目ですが、現場のトップが備えるべき緊急事態や情報を理解・共有するようにし、状況ごとの責任と権限を具体的に記載していったところが特徴です。

現在の取り組みとしては、今回の東日本大震災を万が一上回ったような津波でも全員無事に垂直避難できるように、4階建てで避難所スペースを設けた建物も建設しました。演習訓練等は、小さいレベルで、現場でどんどんと取り組んでおり、前年度は54回実施しました。BCMS(事業継続マネジメントシステム)を有事の実効性向上のために不可欠なものと認識させ、平時業務として運用していることがポイントです。また、マグニチュード8を超えるような地震の場合は1分以上揺れるため、揺れる時間を計測し、1分以上揺れたら即避難、シャットダウンという形で、体感的にやらせるようにしています。

(了)

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