岩井秀人の傑作舞台と密着ドキュ初放送 心奥の震えにたまらずタップ

舞台『夫婦』の一場面。(C)引地信彦

▼劇団ハイバイの舞台は滑稽と哀切が隣り合わせで、笑わされながら泣かされてしまう。主宰する劇作家・演出家・俳優の岩井秀人さんの舞台8作と、制作現場で密着した新作ドキュメンタリーなど計10本を、日本映画専門チャンネルが『特集 岩井秀人』として、3月23日夜と4月20日夜の2夜に分けて放送する。多くがテレビ初放送だ。「映画専門」なのに演劇をやるとは、岩井さんの経歴を踏襲してのことか。違うみたいだがありがたい。筆者も演劇担当記者ではないのに当コラム欄で何度か岩井さんの舞台について書いてきた。

▼【震える『夫婦』】新作ドキュメンタリー『ハイバイ、十五周年漂流記。』(4月20日放送)は、昨年、傑作の自伝的舞台『て』と『夫婦』を同時上演した際の、本読み稽古から密着。一足先に試写させてもらうと、ある場面で、筆者は突如コブラツイストを100%でかけられたごとく身動きできず、しびれ、たまらずタップ(←ギブアップ)した。この時の『夫婦』で岩井さんは、憎み続けた自身の父親役を初めて演じた。筆者は見に行けず、今回のドキュメンタリーでその姿を目撃。演技を超えた岩井さんの心奥の震えに共振し、しびれた。

★【基礎知識を末尾に】何の話?という、岩井さんやハイバイをご存知ない方に、当コラム末尾に「岩井秀人基礎知識」をウィキペディア的に用意しました。お目通し後、ここへお戻りください。

▼【家族はありがたい根? 避けがたい根?】

『夫婦』への道は『て』(2008年初演)から続く。子どもの頃、岩井さんはきょうだいそろって、外科医である父から説教され、理不尽に暴力をふるわれた。『て』は、時が流れて祖母が認知症になったのをきっかけに、家族が久々に集合するが、全然うまくいかない一夜の宴。岩井さんの目に映った宴と、母の目に映った宴、同じ宴を2周して描いたこの舞台に筆者は、他人の物語も感情も分かった気にはなれても分かりはしないと再認識させられ、爽快だった。

 どうしようもない状況の岩井さんやその家族が切実で滑稽で、何かを分かち合った観客は心がパカッと開く。落語家・立川談志さんが言っていた「落語とは人間の業の肯定」を思う。肯定とはいえ弱さを合理化するわけでも、自己憐憫への同調を誘うでもない。成長譚というでもなく、希望は安易に提示されない。ただただ見るうちに、もう少し生きてみようと思わされる。いい舞台は漢方のようで、じんわり効いてくる。

 『て』の後味は悪くない。だが家族再生への兆しは見えない。再生の必要があるという前提も見えない。ただ「これ以上ダメにはならないんじゃないの」という予感は、筆者の頭髪程度にうっすら残る。それは「図らずもドン底でした」という類の、受動的で逆説的な希望だが、前提を疑わない自信満々なアレやコレより、よっぽど救いになる。

 2013年、上演後のアフタートークで岩井さんは、今も実家で父親と目を合わさず、言葉も交わさないと語った。ごく普通の話しぶりだったが、司会者から『て』を書いた上での父親への感情を聞かれると、きっぱりと言った。「これで稼いでやる。これを見て死んでしまえ、という感じ」。休火山が突如3秒だけ爆発したような光景だった。

▼【父の死】2015年夏、筆者は演劇担当記者ではないため「好きな映画3本を聞く」という異種格闘技な企画で、岩井さんに東京・吉祥寺の喫茶店で取材。そこで岩井さんが「去年、父親が書きがいのある死に方をしたんですよ。迷ってるんですよね、どう書こうか…」と言い、経緯をとても詳しく話してくれた。父親は肺がんを患い、その治療過程で医療過誤に近いかたちで、姿が変わり果て、他界していた。

 両親は長く不仲だったが、父の通院の送迎は母がするほかなかった。ある日、岩井さんが姉から届いたメールを開くと、写真があった。外食か何かで父と母が並び、なんと笑顔でピースしている“ザ・夫婦”な1枚だった。「もう僕、ほんと反射的にそれを削除したんですけど(笑)。それぐらい(頭に体に)入らなかったんですねきっと」

 一方で、外科医だった父が、その医療に裏切られるように亡くなり、父の無念さを感じ取ったという。

▼【混沌】迎えた2016年1月、『夫婦』初演。あえてか否かは分からないが、岩井さんの迷いのようなものが、そのまま舞台に現れていて驚いた。『て』や『おとこたち』を筆頭に岩井さんの演劇は、刃物の上を渡るような巧みなバランス、ライン取りを感じるが、『夫婦』は異質で、混沌としていた。

▼【父を演じる】そして2018年の『夫婦』再演に至る。ずっと憎んできた父親を初めて演じるとは、どんなことなのだろう。暴君だった父の成分は自分の中にも眠っていると、岩井さんは自覚している。その成分を自分のメインキャラクターとして実装する。父を分かってしまう、反射的に削除したほどの父を了解しそうになることがあるかもしれない。すぐさま拒否・抵抗が発動してせめぎ合うのなら、震え続けるのではないか。父が見た景色をVR映像のごとく舞台上で体験すると、目の前には、父に脅え嫌悪する家族がいて、息子である自分(を演じる人)がいる。そのとき岩井さんはどうなったのか、山内圭哉さん、菅原永二さんら共演者は何を思ったか。ドキュメンタリーに映っている。『夫婦』、『て』の舞台も放送される。

(宮崎晃の『瀕死に効くエンタメ』第121回=共同通信記者)

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※岩井さん作・演出『世界は一人』が全国6カ所で上演。松尾スズキさん、松たか子さん、瑛太さんら出演。3月17日まで東京・東京芸術劇場、23、24日長野・上田市交流文化芸術センター、28~31日大阪・梅田芸術劇場、4月5、6日宮城・電力ホール、9日三重・三重県総合文化センター、13、14日福岡・北九州芸術劇場

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▼【岩井秀人基礎知識】

▽1974年生まれ、東京都小金井市出身。子ども時代、医師である父から、きょうだいそろって日常的に説教され暴力を振るわれた。

▽一方で、小学生時代までは、家の外に出ると、他人は全て、岩井少年が主人公の映画のエキストラのようなもので、他人には意思や感情がないという世界観で生きていた。遊具に列ができていても順番無視。平気で人を殴っていた。

▽だがある時、殴り返されたことで、他人にも自分と同様、意思があると知る。すると他人にどれだけ気を使う(ペイ)のが適正か分からず、ご本人言うところの「オーバーペイ」状態に。対人・視線恐怖症で16~20歳まで東京・小金井市の自宅で引きこもった。

▽途中2度、自分のキャラクターをチェンジして高校に入り直そうとしたが、うまくいかなかった。今は自分がそもそもどんなキャラクターだったのか、よく思い出せない。

▽臨床心理士だった母が、WOWOWに加入してくれて、引きこもり時代は海外サッカーとプロレスと映画を見る日々。

▽映画を作りたい、出たい思いに駆られ、「外」に出る。大学入学資格検定の予備校へ。

▽映画を作りたいのに、間違えて演劇を教える短大に入学。そこで教わる昔ながらの演劇スタイルや、先生の教え方が、岩井さんにはひどくつまらなく、演劇大嫌いに。だが岩松了さんによる口語演劇(竹中直人の会『月光のつゝしみ』)に触れ、こういう演劇があるのかと覚醒。

▽2003年、ハイバイ旗揚げ。第1作『ヒッキー・カンクーントルネード』は、自身が引きこもりつつプロレスラーに憧れていた時の話をコミカルに描き、好評を博す。今回の日本映画専門チャンネルの特集では、岩井自身が主人公を演じた2010年の再演版を3月23日に放送。

▽ヒッキー続編『ヒッキー・ソトニデテミターノ』(2012年初演)は、自伝ではなく岩井さんが取材を重ねて書いた戯曲。登場するのは、自宅に引きこもっている男性たちや、彼らを外に出すための活動をしている元・引きこもりの男性(初演時は吹越満さん)など。終盤、1人の男性の行動が、観客を混乱に陥れる。終演後のアフタートーク(2012年)で岩井さんは「なぜかは僕にも分からないです。ただ、理由のないこととあることが混在していること(は表現したかった)」と語った。今作は昨年、岩井さんが主人公を演じた再演版を3月23日放送。

▽『おとこたち』(2014年初演、16年再演版が4月20日深夜放送)は、仲の良い男たち4人の、大学卒業後から人生のおしまいまでの話。中でもハイバイ劇団員の平原テツさんが最高! 当時筆者は「プチ大河ドラマに挑んだ岩井の作劇に進化を見た。笑いと悲哀はもちろん、観劇後に話したくなる要素がたくさん詰まったレレレ、ミゼラブル? ただ本稿は、岩井の手持ちマイクの導入っぷりが良い、についてのみ書くレビュー。(敬称略)」ということで、『マイク使いがいいぞコノヤロー!』と題したコラムを書いたのですが、長いのでおしまいにします。

<了>

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