中島正徳さん死去 89歳 県被爆者手帳友愛会会長代行

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 長崎の被爆者5団体の一つ、県被爆者手帳友愛会の前会長で、核廃絶を訴え続けた中島正徳(なかしま・まさのり)氏が15日午後4時ごろ、脳内出血のため長崎市滑石1丁目の自宅で死去した。89歳。長崎市出身。通夜は17日午後6時、葬儀・告別式は18日午後1時から長崎市光町16の18、平安社長崎斎場本館で。喪主は妻玲子(れいこ)さん。

 15歳の時、爆心地から約3キロの長崎市平戸小屋町(現丸尾町)にあった三菱電機長崎製作所のトンネル工場内で被爆。母ときょうだいを失った。2000年ごろ県被爆者手帳友愛会に加入したのを機に被爆者運動に身を投じ、02年に副会長、08年に会長に就任。爆心地から半径12キロ圏内への被爆地域拡大や、「被爆体験者」の援護施策拡充などを求め運動に取り組んだ。

 12年には、長崎市の平和祈念式典で被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げ、核廃絶の実現を世界に訴えた。長崎の被爆者5団体で政府や各国首脳への要望も続けた。

 18年5月、体調不良を理由に10年間務めた会長を辞任。その後、空席の会長に代わり、会長代行を務めていた。

 ■「5団体の柱失った」 関係者、功績たたえ悼む

 県被爆者手帳友愛会の会長などとして核廃絶、被爆者運動の一翼を担った中島正徳さんの突然の訃報に、会員らは組織をけん引したリーダーを悼んだ。ほかの被爆者5団体の代表らは功績をたたえる一方、高齢化した被爆者の多くが鬼籍に入る中、次世代への継承に危機感を募らせた。

 「ついこの間会った時はいつもと変わらない様子だった。信じられない」。会員の徳田眞治さん(81)は亡くなる2日前の13日、中島さんに手伝いを頼まれ、長崎市内の同会事務所で一緒に作業をした。「体調が優れない中でつえをついて事務所に通い、仕事を一手に引き受けた」と責任感が強かった中島さんをしのんだ。

 同会理事、永田直人さん(86)もショックを隠さなかった。「後継者を育てなければいけないと話していた最中だった。今後、組織がどの方向に進むのかを考えなければ」と心配した。

 運動を共にしたほかの被爆者団体の関係者からも悼む声が相次いだ。県被爆者手帳友の会の井原東洋一会長(83)は「非常に残念。言葉にならない。5団体の柱を失ったような気持ち」と肩を落とした。

 2018年8月9日、5団体と政府の面会。直前まで入院していた中島さんが、5団体の代表として安倍晋三首相に要望書を手渡した。県平和運動センター被爆連の川野浩一議長(79)は「入院を繰り返しても何度でも復帰する不死身の存在だった」と惜しんだ。一方で「後継者育成はどの組織にとっても課題だ。運動の継承のため、5団体としても支え合いを強めていかなければならない」と語った。