沖縄上映大作戦~コザとライカムの巻~

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沖縄ライカムホテルにて

 ここ数年感じている、沖縄の街並みの急激な変化。

 かつてこの地にあったアメリカ的な風景はどう変わったのだろう。

 1960~70年代、私が子どもだった頃の知らない沖縄。

 当時のアメリカの面影に出会うために、私は米軍基地周りの街を訪ねた。

 60~70年代のアメリカを描いた作品は、今年のアカデミー賞でも数多くノミネートされていた。少し脱線するが、お付き合い願いたい。

 まずは、ブッシュ大統領の右腕チェイニー副大統領の半生を描いた『バイス』(アダム・マッケンロー監督)。

 名優たちが実在の人物に完璧に扮しているが、その中でも「あんたはマクベス夫人か?!」と、のけぞるほどだったのがエイミー・アダムス。夫以上に演説上手だったというチェイニー副大統領夫人の役。見とれているうちに、なぜか私はベトナム戦争からイラク戦争へ向かって行ったアメリカのことを考えていた。

 もう1本は、黒人刑事が白人至上主義団体「クー・クラックス・クラン(KKK)に潜入捜査した実話に基づく『ブラック・クランズマン』(スパイク・リー監督)。

 思いっきりパンチの効いたアフロヘアの刑事役ジョン・デービッド・ワシントン。彼はデンゼル・ワシントンの息子だが、息子が大作で主役を演じるとは、世代交代の時代なのだろう。

 そうこう考えているうちに、「米軍~在日米軍基地」と脳内で繋がってしまい、東京の横田基地よりも長い滑走路を持つ「極東最大の空軍基地」嘉手納基地の周りを覗いてみたくなったのだ。

 まず、向かった先はコザ(現沖縄市)。

コザのゲート通り界隈

 コザという街には、何度か訪れているが、その度に違う表情を見せてくれる。

 今回は、錆びた金網に侵食された老木のような表情。しかもその老木には新芽が芽吹いている。そう、次世代が新しい店を出したりしているのだ。

 ドーナツと映画を楽しめるミニシアター、その名も『シアタードーナツ』。

 ゲート通りにあるソーセージ屋『TESIO』。こちらは店名の通り「手塩」にかけて県産豚肉を挽いていて、肉本来の味が堪能できる。

 古株の店の軒に並んで、朝から頑張っている姿は、まさに古木に芽吹く新芽のようだ。

 夜通し飲み歩いた者の仕業であろう、ベンチの横に置き去りにされたビール瓶やタバコの吸殻。それすらもなぜかドラマティックに見えてしまうのがコザ。

 昼になるというのに、まだ半分寝ているような雰囲気漂うゲート通りで、ある一軒のカフェバーの扉を開ける。

 『オーシャン』と描かれたその店。きっと古い歴史があるに違いない。

 当時の「Aサイン」(米軍公認の営業許可証)、米軍極東放送のレコードなどが飾られている。

 カウンターに腰掛けて、窓から差し込むかすかな陽射しを求めてみるが、この店にはどうやら陽射しよりも、夜のあかりが似合う。

 チャールズ・ブコウスキーの小説『町でいちばんの美女』じゃないが、カウンターに腰掛けていると、あの女のような気分になる。

 「コザって、ブコウスキーの世界が詰まった街だと思う。競馬場はないけど、闘牛場はあるし…」と傍らでトモダチがつぶやく。

 確かにブコウスキーの描く世界とコザはどこか似ているかもしれない。

 どちらも「酔いどれに天使が舞い降りる街」なのだ。

ブコウスキー「町でいちばんの美女」風に

 ゲート通りには、「沖縄市戦後文化資料展示館」ができていた。

 ここは、コザ暴動やコザの街の歴史がわかり見応えがあった。当時の米軍がどのように駐留していたかもよくわかる。しかも資料本もかなり多い。

 商店街、パークアベニューと通過し、銀天街を抜けたあたりの照屋の黒人街。 

 資料館にあった当時の黒人街の写真が目に浮かぶ。めちゃくちゃ楽しそうな笑顔で今にも腰を振って踊りながら声をかけてきそうな黒人兵たちのオフショット。その姿から当時のコザを想像してみる。

 本国アメリカで起こった公民権運動のうねりは、ここコザにまでやって来たに違いない。彼らの文化や音楽を通じても、それは感じ取れたであろう。

 当時の黒人たちとコザのひとびと。そしてコザ暴動。

『ブラック・クランズマン』じゃないけど、そのブラックパワー。

 

 私はさらに大胆にも、『ROMA/ローマ』(アルフォンソ・キュアロン監督)からのインスパイアで映画『KOZA/コザ』を誰か撮らないかなと強く妄想した。

 『洗骨』(現在公開中)の照屋年之監督が撮る『KOZA/コザ』を見てみたい気もするのだが、どうだろうか。

 

ライカム少年のロケ地を訪ねて

 沖縄の當間早志監督が撮った『ライカム少年』(2018年)のプロモーション・ビデオ(PV)がある。

 「Shaolong To The Sky」という沖縄のロックバンドの楽曲だが、北中城村出身の當山貴史 (とうやま・たかふみ)さんが手がけるノスタルジックな詞に、興味をそそられた。その一部を転載する。

「ライカム少年」PVより

 モクマオウ並木とYナンバー 

 道を渡るハブの屍 

 土砂降りを傘もささないで 

 グローブとボールと少年

 どこよりもここが好きなのさ

 綺麗な矛盾の交差点

 まともな世界 嘘がバレてく

 Oh…呆れて笑うぜ!

 錆びついた金網の外で 閉じ込められても笑う

 世界は今でも変わらないブルーズがコザに響いてる

 ふとした瞬間に気づいた 匂いはあの時のままだよ

 銀バスが走り出した 詩はライカムに響いてる

 瞳はあの時のままだよ グローブとボールと少年

 セントラルのローラーディスコ

 ROGERS VOYAGER BLUE SKY HILL

(『ライカム少年』Shaolong To The Sky・真夜中レコーズ)

 この歌詞に込められた情景は、沖縄の少年の目線で描かれたアメリカと背中合わせにいる沖縄だ。

 歌詞に魅了されたという當間監督が、特に気に入っているのは「錆び付いた金網の外で、閉じ込められても笑う」というところだそう。

 「錆び付いた金網」というのは、米軍基地のフェンスの金網。

 閉じ込められているのは、金網の向こうにいる米軍のはずなんだけど、実は金網の外に暮らす沖縄のひとびとが閉じ込めれているという、なんとも皮肉な基地と隣り合わせに暮らす現状が伝わってくる。

 まだまだある。

 「Yナンバー」。

 これは、米軍関係者の車両のナンバープレートのことだが、復帰前は黄色だったので「黄ナンバー」とも呼ばれたらしい。

 1970年、米兵が起こした事件が発端の「コザ暴動」では、「黄ナンバー」の車両82台が、道路の真ん中で群衆によって焼かれたという。

 「綺麗な矛盾の交差点」とはライカム交差点を意味する。

 「セントラル」は、今でも北中城にあるレトロなボーリング場。

 あそこにローラースケート場があったらしい。私の子どもの頃にも大流行したローラースケート。東京ボンバーズの佐々木ヨーコの走りっぷりが懐かしい。

 「ROGERS」は、プラザハウスショッピングセンターにあるインポートショップ。

 1954年に東京愛宕から移転したROGERSがその前身。当時、マッカーサー夫人をはじめとする軍高官夫人や皇族、財界、芸能人などに愛されたらしい。

 その古き良き時代の異国的な香りは現在も漂っている。

 私はその場所があまりにも気に入って、プラザハウス平良由乃社長に直談判してウクレレライブを開催したこともあったほど。

1954年からあるプラザハウスショッピングセンター

 現在、ショッピングセンター内にあるライカムアンソロジーでは、「琉米文化写真展THE DAWN OF NEW ERA~新時代の夜明け~」と題して、当時の貴重な写真を展示している。(4月23日まで)

 プラザハウスの平良由乃社長は次のように語っている。

 「良き成長をするがために知っておきたい風景があります。あの時代より美しい街並みが築けると、沖縄はもっと素敵じゃないかなあ。せっかく取り戻した土地が、闇雲な開発に翻弄されている感があちらにこちらに。海もそうだけど陸地も大事だと思う」

 私は、この言葉を何度も噛みしめて頷いた。日本は取り戻した土地の活用が本当に下手だと思う。それは、米軍住宅地区が返還された横浜の本牧然り。

ここがライカム交差点

 ところで、「ライカム」とは何ぞや?

 ライカム交差点の信号機の標識には日本語で「ライカム」、その下に英語で「RYCOM」と表記されていた。

 RYCOMとは、琉球米軍司令部(RYUKYU COMMAND)の略称だ。

 1945年、米軍が読谷から上陸した際、上空からこの界隈のライフラインがしっかりしていることを見定めて司令部を設置。沖縄市の南側の玄関口となるこのエリアを「ライカム」と呼ぶようになった。

 沖縄自動車道を沖縄南で降り、330号を南下、県道85号との交差点にあるのがライカム交差点。

 この界隈は米軍のライカム・ハウジングエリアといった米軍ハウスエリア、米軍施設の泡瀬ゴルフ場などもあった。

 現在はそこに、イオンモール沖縄ライカムが立っている。

 新しい道ができたり、ライカムのおかげで、いろんな意味で変化を遂げたエリアでもある。

 泡瀬ゴルフ場がいかに巨大だったかということも知って驚いた。

 さらに驚くべきことは、ライカムという地名が歴史上の出来事から離れ「イオンのライカム」に変化してきているという現実だ。

 私は声を大にして言いたい。

 ここは琉球米軍司令部「RYUKYU COMMAND」が設置されたエリアだからこそ、ライカムなのだ。

 ライカムとは、決してイオンモールを意味するものではない。

 しかし、それも時代の流れなのか……。

 ライカムの近くには「ホテル・ライカム」がある。

 沖縄自動車道からも見えるので、知っている人もいるかもしれない。

 ここは向井理の写真集をはじめ、乃木坂46のPVなどの撮影で使われている。ちなみに先ほど紹介した『ライカム少年』のPVのロケ地もここだ。

 もちろん宿泊も可能。

 アメリカ文化と沖縄が交差する、時が止まったようなロビー。

 古びた看板がある屋上は、風の強い日はかなり怖いが、醸し出す雰囲気は映画的。

 私が映画監督なら狂喜するロケ地だろう。

 こうしてライカムとコザを歩き、私はあらためて感じた。

 アメリカ文化と沖縄が交差する、独特の異国情緒を放つ沖縄が大好きだということを。

 酔いどれ米兵相手に爆音を轟かせたコザ生まれの沖縄ロックが超かっこいいと思ったし、アメリカだった頃から健在な「ジャッキーステーキハウス」や「ジョージレストラン」、昭和の大スターのショウで賑わった「リージョンクラブ」。その隣にある「サムズカフェ」。

 ライカム近く330沿いのミシシッピスタイルなアメリカンレストラン「ローズガーデン」。「ジミーズ」でお土産のマフィンを必ず買うし、食べきれないことがわかっていても嘉手納マリーナ内のリストランテの巨大ピザにいつもヤラレにゆくのだ。

沖縄で愉しむアメリカンスナック

 基地があることがいいとは決して思わない。ただ、長い時間米軍基地と同居してきた沖縄のたくましさに私は心酔する。「金網の外に閉じ込められても笑う」あのライカム少年の沖縄に。

 ライカム交差点を眺めながら、近くて遠いアメリカ、消えゆく沖縄の「アメリカ世(ゆ)」の痕跡に想いを馳せる私であった。(女優・洞口依子)