「あの日、何があったのか」問い続ける母 迫る時効、小4男児ひき逃げ事件

亡くなった小関孝徳君の写真を見つめる母代里子さん=2月8日、埼玉県熊谷市

 「事件さえなければ息子は今年、20歳になるはずでした」。10年前、埼玉県熊谷市で小学4年生の小関孝徳君=当時(10)=が車にはねられて命を落とした。犯人はまだ捕まっておらず、自動車運転過失致死罪(当時)の公訴時効が9月30日に迫る。一人息子を失った母親は「真実を知りたい」と事件解決のため行動してきた。新たにブログも開設し、情報提供を求めている。(共同通信=桂田さくら)

 2009年9月30日午後6時50分ごろ、孝徳君は習字教室から自転車で帰る途中、熊谷市本石の市道で車にはねられて亡くなった。仕事から帰宅した母親の代里子さんは、孝徳君の自転車がないことに気づき、携帯電話に入っていた不在着信に折り返した。「事故がありました。病院に向かってください。ただし、1人では来ないでください」。電話の相手が警察だったのか、病院だったのかは覚えていない。そこからの記憶は曖昧だ。

 孝徳君はサッカーが大好きだった。3年生からはチームに加入し、弱音を吐かず練習に励んだ。やりたがる子が少なかったポジションに名乗りを上げ、代里子さんを驚かせたこともあった。責任感が強く、優しい子だった。

 父親は孝徳君が幼い頃に病気で他界した。孝徳君と2人で支え合ってきた代里子さんは、事件後しばらく、ショックで家を出られなかった。「孝徳を失った現実を突きつけられるのが怖くて、何も考えられなかった」

 3週間ほどたった頃、「物証が乏しく捜査は難航」という報道に目を疑った。現場は土地勘のある人間しか使わないはずの生活道路。犯人はすぐに捕まると信じていた。居ても立ってもいられず、メモ帳を手に現場に立った。

 同級生の母親が「どうしたの。手伝うから何でも言って」と声をかけてくれた。小学校や孝徳君が所属していたサッカーチームの母親ら約30人が協力し、付近の16カ所を通る車のナンバーを一覧にまとめ、警察に提供した。今も命日に続けており、これまでに集めたナンバーの数は約9万6千台分に上る。捜査の助けになれば、という一心だった。

 各地点のナンバーを地図に書き起こして犯人や目撃者が通ったルートを推測し、情報を求めるチラシを一軒一軒配った。群馬ナンバーの車が多いことも分かり、ブラジル人が多く住む隣接の群馬県大泉町ではポルトガル語のチラシを配った。しかし解決には結びつかず、16年に道交法違反(ひき逃げ)罪の時効が成立した。

孝徳君がはねられた現場に設置された情報提供を求める看板=2月8日、熊谷市

 事件では今年1月、県警が保管していた孝徳君の腕時計を紛失したと公表。さらに県警の担当者が腕時計の押収に関する文書を破棄し、遺族に返還したように装った疑いも浮上した。代里子さんが孝徳君の10歳の誕生日に贈ったものだった。

 「今日は誕生日だから好きなのを選んでいいよ」。4年生になった孝徳君が自分で時間の管理をできるように、という思いで決めたプレゼント。2人で買いに行ったのは事件の半年ほど前の4月3日だった。真剣なまなざしで選ぶ息子の姿が代里子さんの脳裏に焼き付いている。「これにする」と選んだ腕時計を、事件当日まで毎日大切に着けていた。

 孝徳君が身に着けていた所持品は「命と引き換えに残された重要な証拠品」だと思っていた代里子さん。腕時計の紛失に不信感は募るが、一番の願いは事件の解決だ。他にできることはないかと「《未解決》熊谷市死亡ひき逃げ事故《時効まであとわずか》」のタイトルでブログを立ち上げた。孝徳君とのさまざまな思い出とともに「どんなに小さなことでもいいから教えてほしい」と、切実な思いを訴えている。

 今年4月、孝徳君は20歳になるはずだった。「大工さんになって大きな家を建ててあげる」と語っていた夢、あったはずの反抗期、身長はどれくらい伸びていただろうか―。「将来のある命が突然失われたあの日、何があったのかを母親として知りたいだけなんです」。今からでも遅くはないから、犯人は名乗り出てほしい。代里子さんは決して諦めない。

孝徳君の写真と友人たちが寄せ書きしたサッカーボール=2月8日、熊谷市

 ブログのURLは(https://blogs.yahoo.co.jp/awquu69587)。情報提供は高橋正人法律事務所、電話03(3261)6181。

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