野良犬だったハチ公 人への信頼持ち続ける

銅像制作者・安藤士さんを悼む(下)

©株式会社全国新聞ネット

佐々木央

47NEWS編集部、共同通信編集委員

佐々木央

47NEWS編集部、共同通信編集委員

 本州の北辺・下北半島で育ちました。子どもや若者のこと、生きもの(動物園・水族館)について長く取材してきました。なので、軽視されたり無視されたりしがちな存在、人権のないものへの共感も少しはあります。 

佐々木央の記事一覧を見る
 2009年春、ハチ公の墓に手を合わせる安藤士さん(右端)ら。毎年、命日の春に関係者がお参りする=都立青山霊園(有吉叔裕さん撮影)

 ハチ公の死をめぐる話に戻りたい。

 「ハチ公文献集」によれば、ハチ公は1935年3月8日、ふだんは行かなかった渋谷・稲荷橋付近の路地で死んでいた。

 当時の解剖記録によると、心臓が寄生虫フィラリアに侵されていた。胃の中からは焼き鳥に使われていたとみられる串が3、4本見つかっている。解剖した学者は、死因を特定していない。

 ハチ公の臓器はホルマリン液に漬けて、東大に保管された。76年たった2011年、東大の中山裕之(ひろゆき)教授らがMRIや顕微鏡で分析すると、心臓と肺の広範囲に、がんが見つかった。中山教授は「がんとフィラリアのどちらが直接の死因になったかは分からないが、両方とも死因になり得る」と話した。

 鳥串に見るロマン

 動物の解剖を専門とする遠藤秀紀(ひでき)東大総合研究博物館教授は、死因とは別にハチ公の胃に残された串に注目する。

 遠藤教授の著書「パンダの死体はよみがえる」から引用する。

 「ヒトと動物の間柄のとても不幸な一面を背負ったこのイヌの遺体に、私はといえば、胃内から見つかったという鳥串の方に、本当の意味でのロマンを見出している。本当のハチは、イヌを忠誠心のシンボルに仕立て上げる人間ほど、愚か者ではなかっただろう。私には、渋谷駅で逞しく生き、飲食店街で人々に大切にされ、そこに自分の生きる場を見つけた普通の賢い野良犬だったと信じられるのだ。自分のテリトリーに赤提灯があるならば、ときにはそこから焼き鳥をもらい、飢えを満たすのがイヌというものだ」

 遠藤教授が「ヒトと動物の間柄のとても不幸な一面」というのは、人間がハチ公を「国家主義を支える忠義のシンボルに祀り上げた」ことを指す。

 まじりけのない愛

 ハチ公を“発見”し、2代にわたるハチ公像建立に深く関わった斎藤弘吉(1899~1964)の見方にも触れておきたい。斎藤は生涯を通じて、日本犬保存や動物愛護に尽力した人だ。

 著書「愛犬ものがたり」によれば、ハチ公が「事情を知らぬ駅員や露天商などに邪魔者扱いにされているのを見かねた私(斎藤)が、朝日新聞に通知してあの物語を発表して貰いました」。「あの物語」とはハチ公を一躍有名にした「いとしや老犬物語/今は世になき主人の帰りを待ち兼ねる七年間」という記事のことである。

 同じ「愛犬ものがたり」で、斎藤はハチ公の行動を次のように受け止めている。

 「死ぬまで渋谷駅をなつかしんで、毎日のように通っていたハチ公を、人間的に解釈すると恩を忘れない美談になるかもしれませんが、ハチの心を考えると、恩を忘れない、恩に報いるなどという気持ちは少しもあったとは思えません。あったのは、ただ自分をかわいがってくれた主人への、それこそまじりけのない愛情だけだったと思います。ハチに限らず、犬とはそうしたものだからです」

 斎藤もまた、ハチ公と忠義・忠誠を結びつける動きを否定していた。過剰な擬人化を排除するというやり方で。

ハチ公の歩み(金子紫延さん作成)

 永遠を見る目

 では制作者の安藤士さんがハチ公像で表現したもの、像に込めた思いは何だったのか。

 「父は日本犬としての立派さを表現しようとしていた。私は単純ですから、やっぱり長いこと主人を待っていたという愛情の深さを表現したいと思いました」

 そのためには「目が大切だった」。ハチ公は人への信頼感を持ち続けた。「愛情のこもった目、人間への信頼感がにじみ出る目でなければならなかった」

 何度も何度も目を作り直した。その目にはもう一つの思いも込めた。

 「何かを見るというのではなくて、永遠を見ている目にしたかった。道行く人、戦前戦後を生きてきた人たちの来し方、行く末を信頼して見ている。永遠にみんなにかわいがられるような目にしたかった」

 完成から約60年たち、制作者としては誇らしい気持ちですか? そう問うと、少し複雑な思いを明かした。

「私が作ったんだと言って正面に出る気持ちにはなれない。ハチ公というのは、もっとナイーブな、控えめなものだという気持ちがあります。たまたま作れといわれ、作った。ハチ公は誰にだって作れると思う。でも逆に、本当のハチ公像は私以外には作れないと思う気持ちもあります」

 一緒にハチ公像の前に立ったとき、安藤さんはこう話した。

 「ほら、てかてか光ってるでしょう。最初は青銅っぽく仕上げた。お歯黒仕上げっていうんです。でも、はがれちゃって地金の色になってる」

 みんなが体中を触るからだ。「親しまれ、かわいがられている証拠です」

 当時、2016年の東京五輪招致運動があり、ハチ公はそのたすきも掛けたが、安藤さんは首をかしげた。

 「あんまり好きじゃないです。国家的な広告に利用することになるんじゃないか。ハチ公はあそこに、木漏れ日の下に、ぽっといればそれでいいんじゃないか。『この犬はなんなんだろう』と思いながらかわいがってくれればいい。利用されるのは本意じゃありません」

 3度死なせてはならない。そんな思いがにじんだ。(47ニュース編集部、共同通信編集委員・佐々木央)

【追記】掲載したグラフィックスは共同通信グラフィクス記者の金子紫延(しのぶ)さんの作成、写真は共同通信カメラマンの有吉叔裕さんの撮影です。金子さんも有吉さんも私の大切な友人でしたが、昨年亡くなられました。安藤さんとともに、おふたりのご冥福を祈ります。

数奇な運命、2度の「死」 銅像制作者・安藤士さんを悼む(上)