空襲被災者「生きているうちに補償法を」 母亡くし、ケロイド抱えた男性

東京大空襲で焼け野原になった浅草。中央を横切る建物は焼け落ちた仲見世(提供写真)=1945年3月

 東京の下町を焼き尽くした1945年3月10日の東京大空襲(下町大空襲)から74年がたった。太平洋戦全国空爆犠牲者慰霊協会によると、米軍による爆撃や原爆投下で、協会に加盟する全国107都市で一般国民約51万人の犠牲者が出たとされる。空襲被災者には補償がなく、国会に14回提出された法案はすべて廃案に。孤児となり、顔にケロイドを抱えて半生を送ってきた男性は、補償法の成立を心待ちにしている。

 ▽焼夷弾 

 「目の前で母が燃えた。雨あられと焼夷弾が降る中、どこに逃げれば母を救えたのか」。東京はあの年、何度も空襲を受けた。4月13日の「城北大空襲」の夜、当時14歳の戸田成正さん(88)=東京都板橋区=は、荒川区の自宅にいた。空襲警報で跳び起き、全盲の母親フヂさんの手を引いて家を出た。玄関の外は既に火災が広がり、裏口から大通りへ急いだ。

 2人のすぐそばに焼夷弾が落ち、火が付いた油脂が2人を襲う。あっという間に母の下半身が火に包まれた。消防団が担架で運ぶ母に付き添う途中、大やけどを負った戸田さん自身も気を失った。

 「2、3日後、気が付くと病院のベッドだった。母が亡くなったと聞いて大声で泣いたよ」。顔や足にケロイドが残り、右耳を失った。皮膚移植を受けたが、傷が癒えぬまま3カ月で退院。戦災孤児を集めた養育院で敗戦の日を迎えた。

空襲被災者への補償法を求める戸田成正さん=2019年2月

  ▽拾う神 

 孤児になった戸田さんの苦労はここから始まる。養育院では、いつも食糧が不足していた。「セミを焼いて食べたこともあったよ。壁のしっくいを食べる子もいた」。養育院を飛び出し、上野駅の地下道で過ごしたこともある。

 幼少期に別れたきり、生死も分からなかった親族を捜しに徳島県まで向かおうと、切符も買わずに列車に飛び乗った。静岡県の清水駅で駅員に捕まった。しかし、警察官と駅長が事情を理解し、徳島までの乗車を特別に許可。食べ物も分けてくれた。親族に出会えたものの、戸田さんを養う余裕はなかった。

 結局、茨城県の親族に引き取られ、溶接技術などを身に付けて戦後を生き延びた。「清水駅のお巡りさんら、拾う神が何人もいたから今日まで生きられた。数年前に無賃乗車したお金を返そうとしたが、JRと静岡県警は受け取ってくれなかった」

 働いていた若い頃、ケロイドを隠すため、いつも手拭いでほっかむりし、ばんそうこうを口元に貼っていたという。「泣きもするし怒りもする人間だ。でもこの顔のせいで健常者に見られず、無能と扱われる。差別だな」と深いため息をつく。

 過酷な体験は心もむしばんだ。「母が燃える夢を何度も見た。なぜ助けられなかったのかと考え、うつ病になった」。サイレン音は今も苦手だ。 

 ▽廃案14回 

 国は何をしてきたのか。元軍人や軍属には、恩給や遺族年金があり、被爆者には援護法がある。だが、国は「雇用関係がない」との理由で民間人空襲被災者への補償をしない。戸田さんは補償を求め訴訟の原告に加わったが、最高裁で敗訴した。

 名古屋市の空襲で左目を失った杉山千佐子さんらは補償法成立を求めて熱心に活動してきた。しかし、国会に14回提出された法案はすべて廃案。悲願をかなえられぬまま、2016年9月、杉山さんは101歳で亡くなった。翌17年、超党派の「空襲議連」が、障害やケロイドが残った人に限り1人50万円の一時金を支給し、戦災孤児の実態調査をする法案の要綱をまとめたが、国会の混乱や衆院解散などの影響で、いまだ提出に至っていない。

集会で空襲被害について話す戸田成正さん=2018年12月5日午後、衆院第2議員会館

 今年3月6日、「全国空襲被害者連絡協議会(空襲連)」は国会内で集会を開き、補償法の早期制定を求めた。被災者らは「もう時間がない。一日も早く救済してほしい」と訴え、今国会での提出・成立に望みをかけた。

 集会に出席した杉山さんの支援者で、元中日新聞記者の岩崎建弥さん(78)によると、杉山さんは亡くなる半年ほど前から「日本人として死にたい」と話すようになった。その一言には、民間人の被害者が軍人軍属と差別され、一人の人間として扱ってもらえない悔しさが詰まっていた。

 亡くなる1カ月半前には「もういい、国に捨てられたままで」とつぶやいたという。決して人前で弱音を吐くことのなかった杉山さんの絶望に、岩崎さんは掛けるべき言葉が見つからなかった。 

 戸田さんも「生きているうちに法律を見たい」と切に願う。共に訴訟を闘ってきた仲間の多くがこの世を去ったが、名前を思い出そうとしてもすぐにはうまく思い出せない。「年月がたちすぎた。国はわれわれをばかにしている」。ふと、そんな言葉が漏れた。(共同通信=社会部・角南圭祐、小川美沙)

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