150m弾、高校通算打率5割超… イチローが残した5つの“逸話”にMLB公式注目

現役引退を表明したマリナーズ・イチロー【写真:AP】

MLB公式サイトが特集、投手を務めた1996年のオールスターも

 マリナーズのイチロー外野手は21日に行われたアスレチックス戦後に現役引退を表明した。日本で9年、アメリカで19年プレーし、日米通算4367安打など数々の金字塔を打ち立ててきた史上最高のヒットメーカーは、計28年間に及ぶ選手生活に幕を降ろした。

 日米メディアは引退を表明したイチローに関する特集を続々と掲載。その中でMLB公式サイトでは「日本でプレーしていた時に生まれた5つの“信じられない”イチローの逸話」と題し、イチローが幼少期から中学、高校、そしてオリックス時代と、日本で残した“伝説”を紹介した。その5つが以下のようになっている。

1. 車のタイヤを投げ、ショベルでバッティングをすることで体を強化
 イチローは高校時代、細身だったことは良く知られているが、MLB公式サイトの記事では「心身共に逞しくなるために、彼のコーチだったゴウ・ナカムラ(愛工大名電高時代の監督・中村豪氏)は毎日午後3時30分~9時までチーム練習をさせた。最も激しい練習の一つが、重いショベルでティーボールを打ち、車のタイヤを投げることだった。それは、選手の手首と腕力の強化をする型破りな方法だった」と紹介。この練習をイチローが「人生で一番きつい」と語っていたことにも言及している。

2.子供の頃に93マイルのボールを楽々と攻略
 愛知・豊山町出身のイチロー。毎日、自宅近所のバッティングセンターに通って練習を重ねてきた。記事では「小学校3年で65マイル(約104キロ)、その3年以内には75マイル(約120キロ)を軽々と打つようになり、15歳の時には、マシンを数フィート打席寄りにセットして、実質“93マイル(約148.8キロ)”に匹敵するスピードを余裕で打つようになった」と記している。

3.高校時代に通算536打数で打率.502、211打点、三振はわずかに10つ
 愛知の愛工大名電高でエース、そして中軸を任され、2年夏、3年春に甲子園に出場したイチロー。MLB公式サイトはこの高校時代の“伝説”にも着目し「536打数で10三振? イチローがスイングすれば、97%の確率でバットに当たっていたと、彼の母校である名電は主張していた」と驚いている。

4.オールスターで登板
 1996年に行われたオールスター。第1戦で初球先頭打者本塁打を放ったイチローは、第2戦で9回2死からマウンドに上がった。この時にスポットを当てたMLB公式サイト。「多くのプロ野球選手同様に、イチローは高校時代にスター投手だった。彼は二度、甲子園にチームを導いた。しかし、他のプロ野球選手とは違い、彼はプロ野球のオールスターゲームでもマウンドに立った。この22歳は1996年のオールスターで9回2アウトの場面で登板し、90マイル(約144キロ)の直球を投げ、その時幸運にもスタジアムに居合わせた全ての観客を喜ばせた」としている。

5.ハワイ・ウインターリーグでの500フィート(約152.4メートル)のホームランでスターダムにのし上がる
 プロ2年目のオフ、イチローはハワイでのウインターリーグに参加し、リーグMVPに輝いた。そのウインターリーグ期間中に特大の1発を放った逸話をMLB公式は紹介。「彼は俊足と言うだけでなく、打棒も併せ持っていた。500フィートのモンスター級の一打を放った。その一打は『新幹線ホームラン』として知られることになり、日本の200マイルで走る電車にちなんでいる」と紹介。その翌年にシーズン210安打を放つなど一気にブレイクを果たし「それが7年連続首位打者、7年連続GG賞、3度のMVPの始まりとなった」としている。(Full-Count編集部)

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