イチローの凄さどこに? WBCで共闘した松中信彦氏語る「毎回ほぼ同じ時間に…」

WBCではチームメイトだったイチロー(左)と松中氏【写真:Getty Images】

同じ1973年生まれで第1回WBCメンバーだったイチローと松中氏

 21日に東京ドームで行われた「2019 MGM MLB 日本開幕戦」第2戦。アスレチックスとの試合を終えたあと、マリナーズのイチロー外野手は現役引退を表明した。日米通算4367安打を放ち、日本で9年、米国で19年、計28年間に及んだ現役生活に終止符を打った。

 2006年。この年初めて行われた野球の世界一を競うワールドベースボールクラシック(WBC)。王貞治監督(現ソフトバンク球団会長)の下で、イチローとともに世界一を掴み取った1人が、元ソフトバンクで平成唯一の3冠王である松中信彦氏だ。

 イチローの引退表明から一夜明けた22日、松中氏は「Full-Count」の単独インタビューに応じ、同じ1973年生まれのレジェンドの引退について語った。

「野球を始めて、いつか現役引退というものは来る。50歳までやりたいと本人は言っていたし、その中で45歳というところで、結果が出ないというのは本人もすごく決断するにあたって大事だったと思う」。かつて世界一を目指して共に戦った盟友の決断について、こう思いを語り出した。

 イチローはアスレチックス戦後の会見で、引退を決意したのはスプリングトレーニング終盤だったことを明かしている。昨年5月にフロント入りし、その後はチームに同行して練習を続けていたものの、実戦からは離れていた。この期間が松中氏は大きかったと感じている。

「去年の5月から実戦をやっていないし、5月前からの感覚と、こうやってスプリングキャンプからなかなか結果が出ない中で、僕は身体というよりも目、動体視力の衰えがあったんじゃないかなと思います。これは王会長もずっと言ってきたことで、身体は元気でもボールが速く見えたりとか、私も最後のほうは2軍から1軍に上がってくると、あんなに見えていたボールが全く見えない、速く感じたりというのがあった。その辺はイチロー本人も感じていたんじゃないかなと思います」

「日本でやっていた練習試合とかを見ても、彼本来のバッティングじゃなかったですから。そういうところで身体は元気、肩とかは元気だけど、打撃というのは相手がいることなので、そういうところもあったのかなと思いました」

「僕たち同級生のスーパースターなので、その雄姿を、プレーを見られないのは凄く残念」

 会見の様子も、テレビを通して見たという松中氏。ウィットに富み、時に笑いを、そして時に深みを感じさせるやり取りに「イチローらしい感じはしましたけどね」という。そして「1番大事なのは悔いがないっていうかね、そういうところが選手としては1番大事だと思うので。数々の大記録を作ってきた僕たち同級生のスーパースターなので、その雄姿を、プレーを見られないのは凄く残念ですけど、ただただお疲れさまでしたと言いたいですね」と語った。

 2004年に平成でただ1人の3冠王に輝き、翌2005年にも2年連続で本塁打王と打点王を獲得。現役生活19年間で352本塁打を放った大打者だった松中氏から見た、イチローの凄さとはどこにあったのか?

「WBCのアメリカ戦で死球を受けて、その翌日に誰よりも早く球場に行きました。施設が充実していたので、なるべく試合に出られるようにと、治療とかをしていたんですけど、その時にはもうイチローは球場に来てバッティング練習をしていた」。2006年のWBCを回顧し「準備にかけるところは凄い。常に誰よりも早く来て、バッティング練習して、まだ通常のバッティング練習をし、と。そこは感心するというか、それを毎回ほぼ同じ時間、同じタイミングでやっていたので、そこは凄いなというのを覚えています」。イチローが良く言う準備の大切さ。それは一流の打者たちから見ても、凄かったという。

「天才、天才と言われていたけど、その見えないところでの努力というのは凄いんだな、そうじゃないとあそこまでの記録は出せないんだなと思います。プレッシャーや大舞台の中で結果が出せるのは、見えない努力なのかなと」と、いつも変わらず、淡々と準備、努力を続ける姿勢に驚かされた。

 そんな偉大な打者にも訪れた引退のとき。松中氏は、日本に凱旋した試合でプレーする同級生を見ていて、これまでと違う姿を感じていた。「ボールが速く感じているんだろうな、と。彼は打ちに行って見逃す、自分から攻めていくスタイルだと思うんだけど、今回は巨人戦から見ていても“受け”ていた。詰まった打球とかも多かったし、それはどうしてもボールが速く感じて、見え方が違っているんだろうなと、テレビ越しでも感じていましたね。イチローらしくない凡退の仕方だった。ああいう姿って全く考えにくい光景だったのが、実際にそうなるというのが、僕も経験ありますけど、目が付いていけてないというのあったのかなと」。

 誰もが驚き、衝撃を受けた稀代のヒットメーカーの引退。「スーパースター」と呼ぶ同級生の“引き際”に、松中氏もどこか寂しそうだった。(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)

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