66年間、この地帯に駅はなかった【私鉄に乗ろう81】東武鉄道 その10

新田駅から1.4kmで蒲生駅。

駅名の掲示はありません。

駅名標。1899年(明治32年)開業。1908年(明治41年)現在の位置に駅が移設されています。航空写真を見ると、この周辺から沿線、住宅地の間に農地が増えてきます。

急行線をスペーシアが追い越してゆきます。1990年(平成2年)に、30年間に渡って東武鉄道を代表する列車だった1720系(子供の頃、電車の図鑑ではデラックスロマンスカーとして必ず紹介されていました)を置換する新型車両としてデビュー。爾来30年近くが経ちリニューアルも実施されています。日光線栗橋駅からJR東北本線(宇都宮線)に乗り入れて新宿まで運転されています。2017年からは新型500系が運転されていて、野岩鉄道を経て会津田島までの運転にも利用されています。100系は車体の大きさの問題で野岩鉄道のトンネルが通過できないのです。将来的に100系は500系に置き換えられることになります。

急勾配の上に大きな駅が現れました。1.0kmで新越谷駅。元は地上を走っていた伊勢崎線をJR武蔵野線が高架で越えていたのですが、伊勢崎線はさらにその武蔵野線を越える形で高架化されたので新越谷駅ホームは一般のビルの5階という高さにあります。

島式ホーム2面4線。当初、東武鉄道は地上での駅を構想しましたが鉄道によって地域が分断されることを嫌った地元の反対でこんなに高い場所を走る様になったのです。

駅名標。窓外にJR武蔵野線が見えます。1973年(昭和48年)にJR武蔵野線が府中本町〜新松戸間で開業。南越谷駅が作られました。東武鉄道も1974年(昭和49年)新越谷駅を開業して乗り換え駅としました。1997年(平成9年)にダイヤ改正されるまで新越谷駅には各駅停車しか停車しなかったためJR武蔵野線との乗換客で激しく混雑しました。

旧蒲生駅が1899年(明治32年)〜1908年(明治41年)が現在の新越谷駅の北側辺りにありました。新越谷駅が開業するまでの66年間、この地帯に駅はなかったのです。

1.5kmで越谷駅。

島式ホーム2面に6線。草加駅と同じ規模です。1日5万人以上が乗降する駅です。

駅名標。駅の東口周辺は江戸時代から日光街道の越ヶ谷宿として栄えた宿場町でした。しかし1899年(明治32年)の伊勢崎線開業時に駅が作られたのは現在の北越谷駅でした。1920年(大正9年)地元の請願駅として越ヶ谷駅が開業しました。東武鉄道では最初の請願駅です。1954年(昭和29年)に越ヶ谷町が町村合併で越谷町になったのを受けて駅も越谷駅に改称されています。

では、【私鉄に乗ろう 81】東武鉄道 その11 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)

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