『Planet Football』は15日、「チェルシーが獲得しそこねた11名のビッグネームと、その代役」という記事を掲載した。
アブラモヴィッチ氏がオーナーとなってから大きな投資を行ってきたチェルシー。これまで取り逃してきたスター選手とは?
セルヒオ・アグエロ
2009年、マンチェスター・ユナイテッドにプレミアリーグ3連覇を許したチェルシーは、前線のリニューアルを必要としていた。
そして当時21歳でアトレティコ・マドリーに所属していたアグエロをメインターゲットとし、移籍金も合意に至ったという。
ただ、アグエロの賃金の要求がチェルシーの希望に合わなかったことから、獲得することが出来ず。代わりにダニエル・スターリッジがやってきた。
ロビーニョ
2008年にレアル・マドリーから放出されそうな状況になったとき、話題になった移籍先はチェルシーだった。
チェルシーの監督にはルイス・フェリペ・スコラーリが就任しており、移籍金3200万ポンド(およそ46.42億円)で合意に至ったという報道もあった。
しかし結局マーケット最終日まで動きはなく、ロビーニョはマンチェスター・シティへ。そしてその年、冬にはリカルド・クアレスマがやってきた。
ダニ・アウヴェス
2007年8月、『Guardian』は「2150万ポンド(およそ31.19億円)でダニ・アウヴェスがチェルシーに移籍する」という記事を掲載した。
ダニ・アウヴェスはすでにセビージャを去る準備ができていて、レアル・マドリーよりチェルシーを選んだと言われていた。しかし最後にはバルセロナへ…。
おそらく、ベレッチではなくダニ・アウヴェスを獲得できていれば、ジョゼ・モウリーニョももう少し続いていただろう。
メフディ・ベナティア
チェルシーはこれまで2回ベナティアの獲得に動いていたと伝えられている。10年前に1度、そして2014年にローマからバイエルンへと移籍したときだ。
「素晴らしいチームだったが、行く準備は出来ていなかった」と10代のころにチェルシーのトライアルを受けた際のことを振り返ったベナティア。
そしてチェルシーは同時期、ブラジルから若い10代のセンターバック、アウシデスという選手を獲得した。ただ、彼はトップチームにも上がれずに退団している。
ロベルト・カルロス
ダニ・アウヴェスの獲得に動いた2007年夏、チェルシーは同じブラジル代表のサイドバックにも接近していた。
「私はアブラモヴィッチと話していた。パリで会談していたが、いくつかの小さな要因が原因で取引は破断になった」とロベルト・カルロスは語っている。
アシュリー・コールとロベルト・カルロスの競争をさせるというプランが実現不可能になったかわりに、チェルシーはリヨンからフローラン・マルダを獲得している。
スティーヴン・ジェラード
チェルシーがジェラードの獲得に近づいたのは2004-05シーズンだ。チャンピオンズリーグ優勝を果たした後、ジェラードはリヴァプールに移籍リクエストを出したという。
ジョゼ・モウリーニョはジェラードを好んでいた。しかし交渉の末彼はリヴァプールと再び手を結ぶことを決めたため、チェルシーは撤退を余儀なくされた。
そして、モウリーニョはその代わりとなるMFを獲得しなければならなくなり、リヨンからマイケル・エッシェンを引き入れている。
エディン・ジェコ
2018年1月にチェルシーがエメルソン・パルミエリと契約したとき、同じローマの選手とも交渉をしていたと言われている。
ジェコは個人的な条件に同意することが出来なかったという。したがってチェルシーへの入団は叶わなかった。
そしてチェルシーはその後、同じロンドンのクラブであるアーセナルからオリヴィエ・ジルーを獲得することになった。
アンドレア・ピルロ
プレミアリーグとFAカップのダブルを獲得した2009-10シーズン。ただ、もし補強の目標が全て達成されていれば、さらなる成功をする可能性があった。
アンチェロッティ監督はこの時、故郷のイタリアからアンドレア・ピルロを引き抜こうと考えていた。それはピルロ本人によって証言されている。
たた、この年チェルシーは結局まだ若いネマニャ・マティッチを獲得しただけで、ジョン・オビ・ミケルに中盤を頼ることになった。
フランク・リベリ
2009-10シーズン、フランク・リベリはバイエルンからチェルシーに移籍する可能性が高いと伝えられた。
ただ、バイエルンの会長ウリ・ヘーネスは6500万ポンド(およそ94.29億円)+ジョゼ・ボシングワという条件を拒否したと証言している。
リベリはバイエルンに残ったことが正解だった。そして結局アンチェロッティの下でプレーするということも実現するというのも皮肉なことだ。
チェルシーはこの年結局ユーリ・ジルコフを獲得することになったわけだが…もしリベリを獲得していたら、エデン・アザールは来なかっただろう。そういう点でも悪くはなかった破談かもしれない。
ロナウジーニョ
2007年の夏、アブラモヴィッチ会長はチェルシーになんとしてもタイトルをもたらしたいと考えていた。
その主要な目標の一人はロナウジーニョだった。しかしバルセロナは「彼は売り物じゃない」と一蹴したと言われている。
そしてチェルシーは結局フローラン・マルダを獲得。さらに1月にはニコラ・アネルカを獲得した。
ダビド・シルバ
2010年に連覇を狙ったチェルシー。それほど大幅な強化は必要なかったが、そのピンポイント補強として注目したのがバレンシアにいたダビド・シルバだった。
彼は『Guardian』に対して「チェルシーはプレーするのに最適なクラブだ。野心を満たすことができる場所だ」と語っていたが、結局マンチェスター・シティを選ぶことになる。
代わりにチェルシーは才能豊かで素早いMFを獲得した。それはヨッシ・ベナユンという選手だが、あまり影響力はなかった。