「体験しないと自分の中から生まれない」イチローの言葉から再び『ボヘミアン・ラプソディ』を思い出す

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膨大な長さになってしまいそうなのでヤフーの記事には含まなかったけど、イチロー元選手の引退会見で心に響いた言葉はまだほかにもたくさんありました。

中でもこちらの言葉は、本当に響きました。

「アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと。アメリカでは僕は外国人ですから。外国人になったことで人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。この体験というのは、本を読んだり、情報を取ることができたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので」

というのは、まさに私の以前の記事

映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観たほとんどの日本人がわからないだろう、と思うこと。

で言いたかったことを、わかりやすくイチローさんが伝えてくれたと思った言葉でした。

記事を読んだ方からのさまざまなフィードバックで、「映画の中で移民問題は描かれていたのでは」というものがありました。しかし私の答えは「はい、描かれていました。でも実際に体験した人でないと、わからないだろう」ということでした。

移民問題しかり、LGBTしかり。


知識は経験を伴い、経験は知識を伴う


  • 当事者として知ること【体験を通して知る】
  • 本や映画など見聞で知ることと 【知識として知る】
  • その環境に身を置いてみることで知ること。またそれらの体験後、本や映画で改めて知ること。またはその逆【知識と経験で知る】

これらは、まったく別モノだと考えています。

私がずっと日本にいたら、日本での外国人やマイノリティとしての気持ちが想像できにくかったと思うし、もちろん想像できないのは当たり前、しょうがないことだと思います。またLGBTにしてもストレートの人がいくらそのような問題は知っていると言ったところで、本人の気持ちは誰にもわからないのです。

以前、「戦争もアートなんですよね」とおっしゃる方がいて、私はキョトンとすることがありました。映画からの知識をお話ししているようでした。戦場ジャーナリストや戦場カメラマン、もしくはアート業界に身を置く方がおっしゃったのであれば、深いお言葉として私はかぶりついていたと思います。しかし戦場や紛争地にさえ行ったこともなければアート業界に身を置いたこともない、ただ映画や本だけの知識で、あたかも自分の中から生まれてきたような言葉を然もありなんに言うって、戦争で亡くなった方に大変失礼な言葉だなあと思い会話終了と、なんとも居心地の悪い思いをしたことがありました。

また、私は普段日本の企業のニューヨーク視察のお仕事もしていて、シチュエーションはまったく別ですが、ある日本から来られた方が印象的なことを話されていました。

「情報は今、インターネットで無限に手に入れることができる。だからニューヨークについてわかった気持ちになっていた。でも来てみたらまったく違っていた」

ほかにも、「もっと危険だと思っていた」「モデルさんのような人ばかりと思っていた」「ニューヨーカーはせかせかしていると思っていた」「日本の報道ではアメリカの時代は終わったといわれているが、全然終わっていない。それどころか日本と比べられないほどの活気がある」などなど...。

ニューヨークを仕事や観光で訪れた、実にたくさんの方が「知識は思い込みだった」とおっしゃいます。

だからこそ実際に時間と労力とお金を使って「自分の目で見る」「足を踏み入れる」、「経験する」ことが大切なのではないでしょうか。