<東日本大震災 復興人> 夢抱き10年ぶり帰郷 家業と街の再建担う

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復興に向けて整備が進む陸前高田市中心部。新たな街づくりの一翼を担うため、古里に戻った菅野さん(右)と恵美さん

◎陸前高田市・マルカメ商店代表菅野英俊さん(29)

 「家業再興」「新たな街づくり」。この二つを成し遂げるため、陸前高田市の菅野英俊さん(29)は昨年5月、高校卒業以来10年ぶりに古里に戻り、家業のマルカメ商店代表に就いた。今年6月には街づくり会社を設立する。

 東日本大震災の津波で壊滅した市中心部は、今も土地のかさ上げ工事が続く。市の人口は1万9009(2月28日現在)と、震災直前から5237減った。1月末現在の高齢化率は38.9%。復興への道のりは険しく、街の消長は若者たちの双肩にかかる。

 震災時、菅野さんは山形大工学部(米沢市)の3年生だった。呉服店などを営んでいたマルカメ商店は、津波で全て流された。4代目の父利夫さん=当時(52)=と母絹子さん=同(48)=が犠牲になった。

 大学を卒業したら陸前高田で働きたいと思っていた。だが「何もスキルがない学生が戻っても役に立たない」と仙台市のIT企業に就職し、将来のUターンに備えた。

 家族と暮らした高田町地区では毎年8月7日、装飾山車が街を練り歩く「うごく七夕」が開かれる。祭りに合わせて帰省した2014年、後に妻となる恵美さん(29)と10年ぶりに再会した。

 恵美さんは当時、あしなが育英会東北事務所(仙台市)で働き、幼少期を過ごした陸前高田で遺児の支援に奔走していた。地元の七夕が演出してくれた運命的な出会いだった。

 16年秋、二人は結婚。菅野さんの転勤先の東京で暮らしながら、古里と家業再建への思いを温めていた。

 菅野さんは17年冬、市幹部から「街づくり会社を起業してほしい」と要請された。帰省した際に受けたテレビ番組のインタビューで、陸前高田への思いを熱く語る姿を見て連絡を寄こしたという。

 機は熟した。7年勤務した会社を迷わず辞めた。「陸前高田のためになることをしたい」とずっと考えていた恵美さんも、もちろん賛成してくれた。

 マルカメ商店は今、高田町地区に整備された災害公営住宅の自宅にある。以前の商売ではなく、菅野さんが会社勤めで身に付けた技術を生かし、地元企業のIT化を支援している。

 「業態は変わっても5代目として名前を残したかった。それが亡き両親の思いに応えることになる」

 設立準備を進める街づくり会社は、地域内で経済が循環する社会の構築を目指す。「それが実現できれば、人々は戻ってくる」と菅野さん。復興の一翼を担う覚悟で、理想とする陸前高田の青写真を描き始めた。 (報道部・山口達也)

<描く未来図>経済自立 若者呼ぶ

 自立した経済が成り立つ街にしないと、賃金は低いままで若者は出て行くばかり。外部に資金が流出していた構造を改め、小規模事業者同士でも一つ一つが協力する歯車となれば単体の企業より大きな力になる。そういった街づくりを目指していきたい。