欧州鉄道事件簿(ロシア強奪編)

(上)事件が起きたマヤコフスカヤ駅。旧ソ連時代からある地下鉄駅は美しい装飾やユニークなデザインなど、特徴的な駅が多い=2011年8月、(下)サンクトペテルブルクのモスクワ駅に停車中の高速列車「サプサン」(ハヤブサの意味)=2013年3月

 2011年8月末。ロシア・サンクトペテルブルク地下鉄3号線、マヤコフスカヤ駅に滑り込んだ列車はすいていた。座ろうと思ったが、なぜかドア付近から前に進めない。私の前にさりげなく立ちはだかる2、3人の男たち。後から誰かが押してくる。なんか変だ。

 鈍感な私の脳内アラームが作動したのは、車両のドアが閉まる瞬間だった。私の周りの男たちは何やら大声を上げて、一斉に下車。背中に冷たいものが走り、いつも財布を入れているベルトポーチを確かめる。やられた! 一人の標的を多数でロックして財布を奪う、集団スリだったのだ。

 マヤコフスカヤを含むサンクトペテルブルクの一部の地下鉄駅は1960年代、世界で初めてホームドアが設置され、今も現役で稼働している。ただ、日本と形状が異なり、高い壁が窓の外の視界を遮るため、連中が右に行ったのか左に行ったのかも分からない。

 列車が走り出す。地下鉄独特のごう音が響く中、私は餌食となった無念さをかみしめた。

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 「現金が約8000ルーブル(当時のレートで約2万2千円)と300ドルですね。クレジットカードは?」

 サンクトペテルブルク地下鉄警察第2分署の警官は慣れたようすで被害届をつくり始めた。駅裏のあまり雰囲気の良くない場所に立つ雑居ビル。「警察」の看板はない。第2分署はビルの3階の奥まった場所にあった。エレベーターのない薄暗いビルは警察署と言うより、どちらかといえば犯罪の巣窟を思わせた。

 振り返れば、失敗の原因は明白だった。モスクワ発の高速列車「サプサン」をサンクトペテルブルクの玄関口「モスクワ駅」(ややこしいが、これがロシア風。ちなみに乗車駅はモスクワにある「レニングラード=サンクトペテルブルクの旧名=駅」)で下りた私は、小型スーツケースを転がし、いかにも「外国人がモスクワから出張に来ました」といった風情で隣接する地下鉄マヤコフスカヤ駅へと歩いていた。実際、出張中だったのだが。

 モスクワ~サンクトペテルブルク間700キロ強を4時間前後で結ぶサプサンは、他の列車と比べてもかなり割高だ。「高い列車に乗れる」のは、狙われる理由となる。その上、地下鉄の自動券売機の前で私は財布を取り出した。これが最大の敗因だろう。彼らは財布の出し入れを確認し、私を追尾し、ホームで配置に就き、犯行に及んだのだ。

 なぜなら、彼らは私のジャケットやズボンのポケット、バックパック(メインのファスナーはカギを掛けていたが)のポケットなどには手を入れず、ジャケットの裾に隠れて外からは見えないベルトポーチを直撃したのだから。

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サンクトペテルブルクの地下鉄ドストエフスカヤ駅に停車中の車両=2012年6月

 それにしても、この自分を責めるようなやり切れない気持ちといったら、例えようがない。犯罪被害の精神的ダメージは被害金額以上に大きいのだ。

 こんな思いは二度としないと固く誓い、(1)現金少々とクレジットカード1枚をポケットに入れておき、外で財布は出さない(2)出張や旅行の際は、割高になったとしても、犯罪リスクを下げるために鉄道の1日券や1週間券を買う(3)列車に乗る際には、周囲に気をつける-などの対策を立ててきた。バックパックの施錠もこれまでと同様に続けた。しかし7年後、私は別の国で、再び列車内で盗難に遭う。それについては、次回紹介したい。

 ☆小熊宏尚(おぐま・ひろなお)共同通信ブリュッセル支局長。事件が起きたのは、以前勤務していたモスクワ支局時代。いわゆる鉄ちゃんではないが、学生時代に香港から北京、ウランバートル、モスクワなどを通ってヘルシンキまで列車の旅をしたのが数少ない鉄道自慢。

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