人助けの人生エンジョイ ロサンゼルスで暮らす人々-vol.780

By Yukiko Sumi

テリー・ハラ / Terry Hara 元LAPD副署長

 日系三世のテリー・ハラさんは、ここロサンゼルスの日系社会ではよく知られた存在だ。2008年にアジア系米国人として史上初めて、ロサンゼルス市警(LAPD)副署長にまで上り詰めた経歴を持つ。2015年に退任したが、その理由をこう語る。「とにかく仕事が大好きで楽しくてたまらなかった。でも、家族と過ごす時間は決して多くなく、いつ呼び出しがあるかわからず落ち着いて一緒にいられることもめったにない。常に危険と隣り合わせで、本当にタフでなければ務まらない仕事。いつの間にか疲れ果てていて、ふと『もういいかな』と思ったんです」。

「常にアジア系米国人の代表としての責任感を感じていた」というハラさん。心身ともに激務だったが大変だと感じたことは一度もないという

 チャレンジ好きで試行を重ねるプロセスも面白いと感じる性格。常にネバーギブアップ精神を忘れない。子どもの頃から人助けが好きでリーダーシップを発揮し、6年生のときには生徒会長を務めた。警察官になったのは必然であり、そして天職だったと言える。

 35年間の警察人生は「個人的にも仕事の上でもたくさんの人に出会う機会があり、すばらしい人たちに恵まれたすばらしい時間だった」と振り返る。大変だと思ったことは一度もなく、後悔も何一つない。アジア系米国人として史上最高位まで昇進し、アジア人代表としての責任感を常に感じていたというが、在任中にその意識をより一層高めさせるような出来事があった。それは、徳仁親王が訪米したときのこと。警護にあたっていたLAPDの警察官たちの中にハラさんもいた。「私の姿をみとめた徳仁親王が近寄ってきて、手を握りながら言葉をかけてくださったんです」。本当にうれしく、日系人であることをとても誇りに感じた瞬間だった。

 3年前の3月、リタイヤして2週間後に人生観が大きく変わった。57歳と若く、タバコも吸わずお酒も飲まなかったハラさんだが、それにもかかわらず脳梗塞で倒れたのだ。かなり深刻な症状だった。6時間におよぶ大手術を乗り越え生還すると、ドクターに「ラッキーだった」と言われた。「あの経験で人生の見方が変わった」というハラさんは、神様にもらったこのセカンドチャンスを無駄にしてはいけないと考え、ジム通いを始め食生活も改善、健康を取り戻した。

退任後はボランティア活動に精を出す。警察官を辞めても人を助けたいという生き方は変わらない

 以来、南加日米協会や二世ウィーク、KIZUNAやJACCCなど数々の日系コミュニティにおけるボランティア活動に積極的に取り組んでいる。ガイダンスやアドバイスを聞かれることがよくあるといい、リーダーとして、人のために時間を捧げる姿勢は現役時代とまったく変わらない。「人々のスマイルを見るのが好き」だというハラさんは、第二の人生でも周囲の人々のために活動し、心からエンジョイしている。

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