【MLB】イチローとロッド・カルー 今明かされる感動の秘話

米野球殿堂入りを果たしているロッド・カルー氏【写真はロッド・カルー氏本人提供】

歴代26位3053安打のロッド・カルー氏はイチローが仰ぎ見る数少ない野球人

 先日、一通の手紙が届いた。差出人はロッド・カルー氏(73)である。

 カルー氏はメジャー通算安打数で歴代26位の3053安打を放ち、一線を退いた85年から6年後の91年に有資格1年目での米野球殿堂入りを果たしている偉大な打者である。その彼からのメッセージにあった日付は3月21日。

 マリナーズのイチロー外野手が、東京ドームで行われたオークランド・アスレチックスとの開幕第2戦を最後に現役引退を表明した日である。短い文面にはイチローへの敬意と同じ殿堂入り仲間になる晴れの日を待ちわびる思いが滲み出ている。

 メジャー3089本を含む(日米通算の生涯安打数が)4367本とは、まさか冗談では?

 プロでの28年間、イチローは浮き沈みのない一貫性(のあるプレー)とプロ魂のお手本となった。彼と同じような選手はもう2度と再び見られないだろう。

 (有資格1年目の)2025年、クーパースタウンでの殿堂入り式典で集まった多くの人達の中で私が最初に彼を迎え入れるつもりだ。

 おめでとう、我が友よ

 ロッド・カルー

ロッド・カルー氏から届いた手紙【写真提供:木崎英夫】

披歴した心奥の思い

 カルー氏はイチローが仰ぎ見る数少ない野球人の一人だ。それを明らかにしたのは2年前の夏、セントルイスでの試合後だった。当時マイアミ・マーリンズの一員だったイチローは7月6日(日本時間7日)のカージナルス戦で2安打を放ち、カルー氏を抜きメジャー通算3054安打で歴代単独24位に浮上。同時に、パナマ出身のカルー氏が持っていた当時の米国外出身選手の通算最多安打を塗り替えている。

 7試合ぶりの先発出場で1本を出した後の8回の打席。相手左腕セシルから今も目に浮かぶ鮮やかな中前へのヒットでランクを上げたイチローが、通算安打に関しての問いかけに珍しく饒舌だった。理由は、優れた人間性を備えた巧打者カルー氏の記録に挑むことが叶ったからだった。

「誰の記録(を抜いた)かということが重要。ロッド・カルーは王さんに通じるものが僕の中にはある。そういう意味で特別な記録、関わりですね」

 日本プロ野球で868本の本塁打を放ちイチローが最も尊敬する野球人が王貞治氏(ソフトバンク球団会長)である。その特別な存在を引き合いに出すと、淀みなく紡いだ。

「(引退してから)時間が経つと、野球のことをすごく簡単に出来ると思う人が多いじゃないですか。でも、あれだけの成績を残した人が、あの雰囲気でいられる。選手として、凄い人はいっぱいいますけれど、時間が経ってからも『この人凄いなって思える』人はなかなかいない。その意味でもロッド・カルーは僕の中で、アメリカで会った人の中では強烈な印象を抱いた人ですね」

 野球から離れたOBや解説者になった人が現役選手の心情に寄り添えなくなっていくのは日米を問わないようだ。懐に抱いていた心奥の思いを臆することなく話すイチローが、カルー氏と初めて言葉を交わしたのは旧ヤンキースタジアムで開催された08年の球宴だった。試合前の打撃練習の際に「君の打つ姿をとても楽しみにしているんだ」と声をかけられている。以後、2人が遭遇する機会はわずかだったが、イチローは人としての品格を直観的に感じ取ったようだ。そして、「この人凄いなって思える」を裏付けたのが、3年前にカルー氏から贈られた「手紙」だった。

ロッド・カルー氏(左)と現役を引退したイチロー【写真:Getty Images】

3000本を前にイチローがよすがとしたもの

 尊敬する大打者の記録を超えた日、イチローは人を介してカルー氏から手紙を受け取ったことを明かしている。実は、介したのは担当記者だった。

 2016年の7月だった。カルー氏から3000本到達を前に生みの苦しみを味わい出したイチローへ手紙を託された。その内容をイチローが明かすことはなかったが、異国から来たイチローの活躍を見守り続けていたカルー氏からの言葉がどれほどのものだったかは想像に難くない。

 カルー氏からの手紙を手にしたイチローはその一か月後の8月7日、コロラドでメジャー通算3000本安打に到達する。

 蒸し暑かったセントルイスでのあの日、クラブハウスを去る前にイチローはこう結んだ。

「人から聞かされていなかったら、僕から探す、気にする、追い求めるものではない。でも、それがロッド・カルーであったというのは聞いていたので。それが特別ということですね」

なぜ、ロッド・カルーなのか

 3000本安打に邁進していた2016年の6月、イチローがメジャーの最多安打記録保持者ピート・ローズ氏の4256本を日米合算で抜いたことから、同氏と比較する日本の報道がにわかに騒がしくなっていたが、異国出身、体格、右投げ左打ち、さらには打撃にも共通の理論を持つロッド・カルー氏を視座に据え取材を進めた。

 同年の7月だった。前年の秋に心臓発作に見舞われ腎臓と合わせて移植手術を待つ身となっていたカルー氏は、医師からの許可を得て特別に電話インタビューに応じてくれた。イチローへの手紙を託されたのはこの時だった。

 カルー氏はイチローの打撃を首尾整った論で描破した。

「私は200本のシーズンを4度やったがとても難しいことだ。200安打への道は引っ張るだけの打者ではなかなか到達できない。広角に打てるイチローを見て強烈な印象に残ったのが私の持論である『腕をできるだけ長く体の後ろに保つ』だった。それを見事に実践していた」

「イチローはバットを振る時に上体が前へ動く特徴があるが、体をしっかりコントロールしながら、バットを握った両手を体の前には出さずに後ろに残すことができている。これは秀逸だ。なぜなら、相手の緩急によってたとえ体が前に出てしまっても手が後ろにあれば、最後、バットの操作を利かせることができボールに当てる可能性が生まれてくる。私がこれまで多くの選手に説いてきた『腕をできるだけ長く後ろに保ちなさい』を体現してくれるイチローの打撃を見ていると本当に心が躍る思いになる」

「“バットを振る=腕を使うこと”である。イチローはこの点で『バットを操るアーチスト』と言える。
自分に何ができるのかを理解して打席に立っている打者は少ない。言い換えるなら、イチローは打席で自分を律することができ、してはいけないことを心得ている」

 かつてイチローが「手を出すのは最後。これはやっぱ僕のバッティングを象徴している。手を出さないからヒットが出るということじゃないかな」との論を展開しているが、世代を超えた巧打者2人の打撃論は符節を合わせたように一致している。

 余談ながら、カルー氏の論を「バットが頭の後ろにある」とする表現に「格言」を施すものを目にするが、カルー氏は「一度もそんなことは言っていない」とバッサリ断じている。

感性というもう一つの類似点

 10年前の取材を機にカルー氏との縁は始まった。当時の話で印象に残ったものが2つある。まず、イチローの真骨頂とも言うべき「内野安打」に関して「私も現役時代は定位置より前に就かれ警戒されたが、バントをからめたり野手の正面を外す打球を転がして一塁を陥れた」と振り返っている。もう一つが「構え」だった。

 打席に立つロッド・カルーの姿を知るメジャーファンであれば、極端に体を屈める独特のスタイルをすぐ浮かべるだろう。これには理由があった。

「メジャーデビューした頃、私は高めのボール球に手を出す癖があって、ずいぶんと痛い目に遭わされました。ノーラン・ライアンにはカモにされましたよ。そこで対策を考えざるを得なかったわけで、行き着いたのが上半身を極端に屈めるあの構えなんです。コーチからアドバイスを受けたわけでもなく、自分で考えました。あの構えで来る日も来る日も練習しました」

 日本時代に振り子打法を編み出し、メジャー入り後は構える前に右手1本でバットを立てる侍ポーズで臨むなど、創造の感性にも共通項が見える。

 振り返れば、東京ドームホテルで行われた先日の深夜の引退会見で担当記者がぶつけた最後の「孤独感」の質問に対して、自身の内面の一部をのぞかせるように話したイチローはまるでカルー氏の心の来歴をたどっていたかのようにも思えてくる。

「アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと。アメリカでは僕は外国人ですから。このことは外国人になったことで人の心をおもんぱかったり、痛みが分かったり、今までなかった自分が現れたんですよね」

 桜が芳香を放ち出した3月、イチローは揺籃の地でメジャー最終章を閉じた。そして、聖地アメリカではかつての異能の打者ロッド・カルー氏が味読に値したイチローの19章に謝辞を記した。

 2人の現役生活が19年だったのも偶然ではない気がする。

◆ロッド・カルー:1967年に21歳の若さでツインズからデビューし、エンゼルスでも活躍。19年間の現役生活でオールスター出場18回を誇る。新人王、MVP、7度の首位打者に輝き15年連続3割を記録する70年代を代表する巧打者。メジャー歴代26位の通算3053安打を記録。その偉大なる経歴を称え、大リーグ機構は16年からア・リーグ首位打者の呼称を「ロッド・カルー賞」としている。エンゼルスを自由契約となった翌年の86年に40歳で現役を引退した。(木崎英夫 / Hideo Kizaki)

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