ブラジル→JFL プロとして歩んだ男の第二章の幕開け。

今回インタビューさせて頂いたのは2016年までJFLの奈良クラブでプレーしていた磯部和彦さん24歳。磯部さんは湘南ベルマーレユースを卒業後に単身ブラジルでサッカー選手としてプレー。その後はJFLの奈良クラブでプレーした後に現役を引退して指導者の道に進んだ。

◆磯部和彦

・ヴェルディジュニアユース

・湘南ベルマーレユース

・CAタボンダセーハ(ブラジル)

・CAジュベントス(ブラジル)

・奈良クラブ

・FC大坂

・現在→ 大坂学院大学高等学校GKコーチ

湘南ベルマーレユースを退団した後は単身でブラジルに行かれたのですか?

磯部 はい。自分の中で将来は海外でプレーしたいという夢を持っていて、18歳の時に縁があってブラジルに行ける事になりました。当時は、何故だか分かりませんでしたがヨーロッパよりも南米派でしたね。今思うと本当に怖いもの知らずでしたね(笑)

18歳でブラジルは凄いですね...待遇を教えて下さい!

磯部 お給料は多くはありませんでしたが、基本給、勝利給にプラスしてチームの寮に住まわせてもらっていました。当時はチームの寮で栄養のある食事を毎日とっていたので、生活に不自由することはありませんでした。

2014年に所属したCAジュベントスでは、僕自身はなかなか試合に絡むことが出来ませんでしたが、現在浦和レッズで活躍されているマウリシオとチームメイトだったりと、刺激のある素晴らしい時間を過ごすことができました。

その後何故、JFLの奈良クラブでプレーされたのでしょうか?

磯部 ブラジルから帰国して国内でチームを探している時に、恩師のシュナイダー潤之介さんに声をかけてもらった事がキッカケです。なかなかチームの決まらなかった僕に手を差し伸べてくれて、本当に感謝しかありません。

今思うと、シュナさんとの出会いが全てでした。本当にパパのような存在でした。

恩師であるシュナイダーさんとのエピソードを教えてください!

磯部 練習が終わってから、シュナさんのGKトレーニングが2時間。

毎日身体はギリギリの状態でしたが、チームが決まらなかった時の事を思うと、サッカーが出来る環境があることが本当に幸せでした。

シュナさんに出会っていなかったら、GKコーチになっていなかったと思います。

JFLの時の一日のスケジュールを教えてください!

磯部 FC大阪の時は午前中にチームのトレーニングがあり、夕方は大阪学院高校のGKコーチとして仕事をしていました。

毎日めちゃくちゃハードでしたが、今振り返ると充実していましたね。

なかなかハードですね!翌年に引退されてから、何故GKコーチになられたのですか?

磯部 現役時代にコーチを経験させてもらったことが大きかったですね。

引退した時が22歳で、まだ現役にこだわることも出来たと思いますが、

これからもサッカーで生きていきたいと考え、早めに指導者の勉強をと思い、引退を決断しました。

現役中だと、どうしても自分のトレーニングやコンディション調整に時間を使ってしまうので、その時間を子供たちのために使いたいと考えました。

磯部さんの今後の目標やビジョンを教えて下さい。

磯部 今は大阪学院高校の選手の為に全てを尽くしたいと思っています。

本当に彼らの可能性は無限大だと感じます。そんな彼らの夢を叶えさせてあげられるような指導者になりたいです。

今後はプロサッカー選手を育てたいと思っていますし、

一番は彼らが学院に来て人として逞しくなって卒業していくことが僕たちの使命だと思っています。

僕自身も、今年はB級ライセンスを受講したり、指導者として多くの事をを学んでいます。

将来的にはいつかJリーグのGKコーチになることが目標です!

目標に向かって日々勉強し続ける自分でありたいと思っています。

磯部さん ありがとうございました!!

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