闇から闇に葬られる生きもの 動物実験に葛藤はあるか 森映子著「犬が殺される」を読む

By 佐々木央

 

ある獣医大学の実験犬。後ろ足に何らかの処置がされている。悲しそうな目だ

 「ヤコブ病抑制成功 治療薬実用化目指す」という見出しに目が吸い寄せられた。3月24日の東京新聞朝刊である。

 「人のクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)や、牛海綿状脳症(BSE)などの難病『プリオン病』の進行を食い止める物質を、岐阜大を中心とする研究グループが開発した。人に近いサルへの初めての投与実験で効果が確認された」

 方法も記されている。

 「研究では、異常型プリオンに感染し、プリオン病特有の認知症に似た症状が出た複数のサルのうち、MCを毎週投与したグループは、半年間の投与期間中は症状が進行しなかった。一方、投与しなかったグループは運動機能が低下するなどし、3カ月後に死んだ」(筆者注・文中の「MC」は病気の進行を食い止めるために開発された有機化合物)

 記事は「異常型プリオンに感染し」と自動詞を用いるが、人間がそうしたのだから「感染させ」という他動詞にするべきだろう。他の資料も調べると、サルの種名はカニクイザル。ニホンザルと同じマカク属のサルだ。画像を見ると、外見も似ている。

 いったい何匹のカニクイザルがこの研究で死んだのだろう。死んだサルたちは、人間がプリオン病と闘うための尊い犠牲となった。そう思って通り過ぎていいのだろうか。

 そんなことを考えたのは、日本における実験動物の悲惨な状況を追った「犬が殺される」(同時代社)を読んだからだ。時事通信記者・森映子さんの徹底した取材に基づく労作である。実験動物の状況は「悲惨」というより「凄惨」という形容の方が適切かもしれない。

 「実験動物」とは、なじみのない言葉かもしれない。彼らのことはほとんど報じられないし、普通に暮らしていれば接する機会もない。だが、実験動物なくしては成り立たないほどに、私たちの日常は彼らの命に依存している。

 ▽3Rの原則はあるが…

 同書の第1章は「獣医大学の実習」。獣医大・獣医学部では昔から、犬、牛、ニワトリ、ウサギ、マウス、カエルなどを使って実習が行われてきた。

 4年前まである大学で行われていた犬の実習例。1日目に避妊または去勢手術、2日目に脾臓(ひぞう)の摘出、3日目に腸管吻合(ふんごう)、4日目に骨盤を大腿骨から外す、5日目に肺を切除する。ビーグル犬を使い、麻酔から覚めたら再び麻酔をかけて体を切る。犬は痛がってキューンと泣き叫ぶ。水はやるが、5日間絶食。

 学生から疑問の声が上がり、4年前に犬の死骸に切り替えた。だが、学生の親から生きた犬の実習を再開するよう求められ、翌年からは生きた犬を1日使い、そのまま安楽死させる形式になったという。

 こうした例が次々に出てくる。牛に麻酔をかけずに頸動脈を切って放血死させる。カエルの首を切ってから体に電流を流し、手足が動くか見る…。著者は事実を事実として記述するが、犬の悶絶する声が聞こえ、牛の血のにおいが漂う。

ある獣医大学の実験牛。短い鎖でつながれ、行動の自由がない


 人間は動物に対して何をしてもいいわけではない。感情的、倫理的に許されないというだけでなく「3Rの原則」という国際原則もある。Replacement (代替・できる限り動物実験の代わりになる方法を利用すること)、Reduction(削減・できる限り実験動物の数を少なくすること)、Refinement(方法の洗練・できる限り実験動物の苦痛を軽減すること)がそれである。

 この原則は日本の法律にはなかったが、2005年の動物愛護法改正で盛り込まれた。ただし「代替」と「削減」を定めた41条1項は「科学上の利用の目的を達することができる範囲において」と明記、「苦痛の軽減」を求める同2項も「利用に必要な限度において」と条件付き。研究優先で3Rは二の次だ。

 では、実験施設や実験動物の飼育施設はどこに何カ所あって、実験に使われた生きものの数はどれほどか。著者によれば、日本では誰も全貌を把握していない。自治体レベルで把握に努めているのが兵庫県と静岡県のわずか2県。国レベルでは許可制や登録制どころか、届け出制すらなく、自主管理に任されている(いま動物愛護法改正の検討が進んでいるが、現状を改める方向には向かっていない)。実験動物は文字通り、闇から闇に葬られている。

 ▽トクホの毒性試験や催奇形性試験

 著者はこの闇に果敢に挑む。そして至る所で「取材拒否」という壁にはね返される。

 目次を見たとき、なぜ全8章のうち第1章「獣医大学」が全体の3分の1近くを占めるのか不思議だったが、読んでいくうちに分かった。獣医大は公的機関として一定程度、取材に応じる。だが、それ以外の企業や研究機関はほとんど情報を開示しない。

 獣医大でも、著者の飼育施設見学の申し入れを受け入れたのは16大学中2大学だけ。断る理由は「実験の目的を損なう恐れがある」「実験環境の要因を増やすことになるので、再現性の観点から難しい」「衛生環境の保全および実験動物へのストレスなどを考慮」など。どれも合理的な理由とは思えない。

 「トクホ」と略称される特定保健用食品の開発にも、多くの実験動物が使われていることは知らなかった。安全性試験のデータとして、犬やラットへの動物実験が義務付けられているのだ。その中に「反復投与毒性試験」がある。餌や飲料水に混ぜたり、強制投与したりして、毎日続ける。食欲や体重、血液、尿検査などをする。投与期間が終わると解剖し、内臓を調べる。

 胎児への影響を見る催奇形性試験もある。妊娠中のラットとウサギに毎日強制投与し、出産予定日の前日に殺し、子宮を摘出し、母体と胎児を調べる。

 著者の取材は、モリカケ問題で有名になった加計学園の岡山理科大獣医学部にも及ぶ。新設計画によれば「小動物外科学実習」で「犬16匹」を使う。「解剖学実習」では「犬、ブタ、牛、ニワトリを対象とする」。牛はもともとの計画にはなかったのに、大学設置・学校法人審議会が「牛の解剖がない」と指摘して入った。もし、この獣医学部自体が不要だとして建てられなかったら、これらの命も失われずに済んだのだ。

 ▽非人間的なレベル

 私は動物園の取材を続けている。取材を始めたころ、動物園の人たちの多くが葛藤を抱えていることを知り驚いた。生きものはもともと野生にいる。その生きものを、人間が見て楽しむために、捕らえてきて展示する。それはどのようにして正当化されるのか。

 それに比べ、実験動物を利用することは、どの分野でも公益性が高いかもしれない。しかし動物園と違い、多くは「人為的な死」が結末だ。失われる命の前で、悩みや苦しみ、痛みが少しもないとすれば、あまりにも非人間的ではないか。動物実験に関わる日本の法制度や行政、企業、研究機関、大学の現状は、この非人間的なレベルにとどまっているのではないか。(47ニュース編集部、共同通信編集委員・佐々木央)

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