豊後森という町で【50代から始めた鉄道趣味】その24

2019年3月16日(土)、豊後森機関庫ミュージアムを訪ねました。ミュージアムについては別稿に記します。9:33に豊後森駅に着きました。2013年(平成25年)観光列車「ななつ星 in 九州」の運行に合わせて水戸岡鋭治さんのデザインで駅が改修されています。

久留米と大分を東西に結ぶ久大本線には何度も乗っていて、豊後森駅のホームにある赤い鳥居も、車窓から見える機関庫も写真を撮っています。2012年(平成24年)には機関庫と転車台が国の登録有形文化財に登録されています。

2015年(平成27年)に豊後森機関庫ミュージアムが開設される前から「あの機関庫をゆっくり観たいなぁ」と思っていたのです。

※跨線橋から

今回初めて駅に降り立ちました。豊後森駅外観。

豊後森機関庫ミュージアムに行くことが主目的でしたが、3時間後の特急列車で博多に移動するまで時間がたっぷりあったので駅前などをプラプラ散歩しました。お世辞にも殷賑とは言い難い駅前商店街。直截に言えば、半ばシャッター街です。

商店街にはこんなポスターがありました。72年の歴史を閉じる森中学校閉校式のポスター。寂しいですね。

豊後森駅は、大分県玖珠郡玖珠町の中心にあります。何故玖珠町という歴史のある所在地名ではなく豊後森という駅名なのかは未詳です。駅の所在地名は帆足ですが、駅の北側は帆足と森という地名がまだらに広がっています。上記ポスターの森中学校も駅の北500mほどにあります。1929年(昭和4年)に駅が開業した時からこの駅名でした。1934年(昭和9年)に開設された機関区も豊後森機関区。

10世紀の「延喜式」には大分、国東、速見、海部、大野、直入、日田、玖珠の8郡が記されています。明治の廃藩置県で豊後は、岡、臼杵、杵築、日出、府内、佐伯、森、日田の8県が置かれましたが、後に大分県になりました。この森が関係しているのか否かは分かりません。

閑話休題。

この豊後森の駅前で気になったのが数カ所にあった「ノスタルジー漂うSLの町」というボード。横幅3m位あります。往時の機関庫や戦後余情となっていたD50形蒸気機関車から改造されたD60形が写っています。

こちらにも往時の機関庫、最盛時には21台の蒸気機関車が所属していました。機関庫の前で撮られた記念写真には大勢の国鉄職員が写っています。往時渺茫。

こちらには、D60蒸気機関車に「ごくろうさん さよなら」を飾った旧豊後森駅が写っています。おそらく1970年(昭和45年)頃の写真かな。右下はもっと古く60年代っぽい子供たちが写っています。駅前でしょうか。

最後の1枚はカラーでした。機関庫に1984年(昭和59年)に廃止された宮原線のキハ07形ディーゼルカーが写っています。キハ07形は門司港の九州鉄道記念館に移されて静態保存されています。左上は、2011年まで運行されたキハ183系「ゆふDX」。左下には、観光列車「ななつ星 in 九州」の背後に機関庫が写っています。右下も機関庫写り込みで71系「ゆふいんの森」、キハ58形・65形を改造した車両。

九州鉄道記念館のキハ07形。

※2005年2月撮影

他にも、こんなボードも飾られていました。

この日は、たまたま、5月5日「日本童話祭」に河川敷であげられる巨大鯉のぼりを豊後森駅の南側でチェックしていました。要は試していたのです。背景は玖珠町の名前の元になったという伐株山(きりかぶざん)。

この写真だと、長さ55m、重さ180kgというバカバカしい程の大きさが分かります。玖珠町が「ふるさと創生資金」で作ったものなんだそうです。

最後に駅前商店街で見かけた猫。筆者は犬派で猫は好まないのですが、この子が剰りにも幸せそうに足をのばして舐めていたのです。冷たい風が吹き抜ける中、ガラス越しの陽光を浴びて暖かそうでした。

(写真・記事/住田至朗)

© 株式会社エキスプレス