「ブルックリンの一部になった」 シンガーソングライター 大江千里

大江千里
「ブルックリンの一部になった」シンガーソングライターとして日本で成功を収めた大江千里さん。ジャズを学ぶために、意を決して、ニューヨークに移り住んだのは47歳のとき。それから10年以上が過ぎ、今、ジャズピアニストとしてニューヨークを拠点に音楽活動を続けている。大江さんにニューヨークでサバイバルしていくヒントを聞いた。

―ニューヨークでの暮らしが長くなりましたね。

11年です。2008年に留学した当初は大学(ニュースクール)に近い13丁目辺り、今はブルックリンに住んでいます。ブルックリンは、街にメロウな雰囲気があって、人も優しくて気に入っています。ブルックリンに移って以来、8年、同じアパートに住み続けているんです。ニューヨークは古い建物が多いから、うちも例外ではなく、あっちを直せば、こっちが壊れるみたいなことはありますけど、何よりも音楽にフレンドリーで、僕も犬も住み慣れて居心地が良いんです。

―住まいにブルックリンを選んだ理由は?

一つは当時のルームメートが国に帰るので、自分も部屋を出ないといけない事情がありました。もう一つはもっとピアノの練習をするために一人暮らしをしたいと考えていました。ただマンハッタンは家賃が高過ぎる。それで今のアパートを見つけました。当時は、アーティストが多い場所だとか、全然知らなかった。むしろ、マンハッタンから「都落ち」した、という気持ちもあって、「刺激が少なそうな場所で大丈夫かな」と思っていました。でも住み始めてみると、マンハッタンから少し距離があることで、アパートに帰るまでの間に気持ちがリセットできるし、アーティストがたくさん住んでいるから、街の中にいろいろなアートがあるし、音楽もあるし、おいしいピザ屋もある。マンハッタンよりもオーセンティックな商店やレストランが個人経営で存在しているのが面白いと思いました。

―ニューヨークに来たばかりのころに戸惑ったことは?

実は本格的に住み始める前、1990年代の4年間ぐらい頻繁に行ったり来たりしていました。だから実際に住み始めたときには、すでに戸惑いというほどの戸惑いはなかったです。強いて挙げると、抜歯の際に受けた全身麻酔が思いのほか強かったみたいで、帰り道、地下鉄のプラットホームでフラフラして、歩けなくなったことがありました。フラフラしながら、確かに「僕はもう大丈夫だ」という書類にサインをしたと思い出して、「なるほど。責任の所在をはっきりさせる場所だよな」と改めて思い知らされたことは印象に残っています。

90年代に僕が来ていたころは、ジュリアーニ(*)が市長になる前で、街がまだザワザワしていました。でも、留学のために2008年に来たときは、すでに街がきれいになっていた。もちろん、アメリカだから安全な所はどこにもないのかもしれないけど、その急激な変化に、東京より安全なんじゃないかと思ったぐらい。90年代は街を歩いていると、車のワイパーとかタイヤを盗んでいる人がいたり、歩いているとぶつかってきて、「これ壊れたから弁償しろ」と言われたり、路上で突然ワインをかけられたりということもある時代でしたからね。そういう犯罪が減るのはいいことだけれども、住みやすくなった分、何かが欠けてしまった感触がありました。

とはいえ、住み始めてみれば、やっぱり大きい街に特有の排他的な雰囲気は残っているし、ふと狭い通りに足を踏み入れると、混とんとした、文化が混ざり合っている感じは保ち続けているなと思いました。そして世界から来た人たちが、自分たちの文化を守り続けようとしている雰囲気も、相変わらずで、それが街に深みを与えているなとも思って、面白いところは変わってないと少し安心しました。

―ニューヨークの生活で気に入っているところは?

年齢、性別、職業に関係なく人と話ができること。知らない人とでも意外に深いことまで話ができたりするのが楽しい。その日に、たまたま地下鉄で乗り合わせた人との3分、5分の会話が1日のハイライトだったりね。どっから来て、どこへ行くということはあまり尋ねない。そのときどきのモーメントを楽しむというか。こっちも、そっちも、何日、何年住んでいようが同じニューヨーカー。ここで会って、面白い、楽しい話ができたらお互いハッピーになる。さらにインスタとかでつながって連絡を取り合うようになったり。たまたま話した人から、「娘にピアノを教えてくれないか」「うちでコンサートをやらないか」と言われたり。この間も、そういうつながりから生まれた仕事をアップステートの街でやってきました。いろんなつながりから仕事が生まれます。だから僕にとって、住むこと、曲を作ること、歯を磨くこと、犬のエサを用意すること、すべてが生きるための肥やしになるというか、ここまでが仕事、ここからが生活というふうに分ける感覚はないです。

―いつごろからそう感じるようになったのですか?

ここ2年ぐらいですかね。僕自身がブルックリンの一部になって、地図に刻まれた感じがするようになりました(笑)。

仕事でミネアポリスに行ったりして「中西部いいなあ、住みたいなあ」と触発され、そういう思いを膨らませてJFK国際空港からアパートに戻って来る。到着してすぐは、周りが雑然としているし、いろんなにおいがするし、「こんなところかあ」って思うんですけど、散歩して、近所でメキシコ料理かなんかを食べるころになると、「あー、ここが一番いいな」って思う。普段いるとあまり感じないけど、そうやってアメリカのいろいろなところでライブをやって帰ってくると、「ここが好きだ」と特に感じますね。近所のカフェのスタッフもちゃんと名前を覚えてくれていて、「ハイ、センリ。あなたの犬のピースは元気?」って声を掛けてくれて。でも、こっちは、ナタリー? ジェニファーだったっけ、みたいな(笑)。そういう日常が楽しい。

―10年以上暮らして時代の変化は感じますか?

いろいろなことが変わる時期を過ごしているんだなと思ったことがありました。僕はCDのビジネスをやっているから、工場に連絡したんです。そうしたら、「もうCDの時代じゃないから、私は弁護士になった。だから何かあったときは、弁護するから、頑張れ」って言われました。「でも俺が必要なのはCD工場なんだ!」っていう(笑)。

―千里さんが感じるブルックリンの良さはどこですか?

古い工場、ビール醸造所、ワイナリー、ハンドメード、いろんなものがサステイナブルなところが好き。ものを大切にして、みんながつながっていて、誰かに親切にすると、いつか自分にも返ってくるような。規則だけがすべてじゃない、正義だけが正しいわけじゃなくて、文化もいろいろなことが混とんとして、ただ影の部分もないと光もより鮮やかに見えてこないということを、みんな分かっている。ただ移り変わりが早くて、「いいな、このグラフィティ」と思っても、気付いたら新しい作品に変わっている。アメリカの食べ物も慣れると楽しい。ポーランド、インド、メキシコ、韓国、四川、イスラエル…。

―そうした環境が与える音楽へのインスピレーションは?

街に出れば、いろんな音楽があふれていますね。家で曲を作っていても、近所でバーベキューをやってる連中がいたら、メキシコ、プエルトリコ、コロンビア、アフリカとか、いろんな音楽をかけて楽しんでいる。そうやって日常でも音楽が聴こえてくる。そうすると、自分は自分のルーツがあって、アメリカのジャズだけを踏襲しなくてもいんだな、と思えるようになりました。僕も関西で生まれて育ったというルーツを大事にしてやっていけばいいんだなと自然に思わせてくれます。「こうでなくちゃいけない」「こうあるべき」という公式とかルールはありつつも、それ以外の何が起こるのかが重要だという意識。例えば、今日のリハーサルも、これまでやってきたことが覆されて、全く違う曲を新曲にする可能性がある。そういうワクワク感が常にあるね。

大江千里 ジャズピアニスト。大阪府出身。1983年にシンガーソングライターとしてデビュー。数々のヒットを放つ一方で、渡辺美里らに楽曲を提供。2008年にジャズピアニストを目指し来米。昨年5枚目のジャズアルバム「Boys & Girls」をリリースした。 peaceneverdie.com

―ニューヨークで生き残っていくためのアドバイスはありますか?

つながりたい人や行きたい場所のクリアなイメージを持って、そこから逆算して、それをするには、今何をやればいいのか、どこに行って、何に時間をかければいいのか、ということを考えて行動するのがとても重要だと思います。僕はこっちで大学を卒業してからずっとそうやってます。ギャラは多くないけど重要な仕事、次に行くために絶対にやりがいがある仕事を見抜く力が必要。でも生活していかなきゃいけないし、家賃を払わなきゃいけないから、別のことに時間を使ってしまいがち。もちろん、それを否定はしないし、うまくバランスが取れればいいのですが、人間ってやっぱりフィジカルに影響を受ける生き物だと思うので、ものを作る時間がなくなっていく。ものを作るのを仕事にしている人間は、1000%の自分のテンスを持って作ったもので、最初の小さなドアを開けていくのだと思っています。僕自身は何か別のことをやりながらそれができない。

それで生活をしていけるのか、という不安もあるけど、逆に「どうなるんだろう」って思う部分から、新しいワクワクが生まれる。そして進むためには「ホープ」が鍵になる。僕のホープは、絶対前より良くなる、僕の音楽はアメリカにいる世界から来ている人が好きになってくれるはず、共感してくれるはず、という具体的なイメージです。

あとはウジウジ悩まないことかな。ダメだったら、今はこれじゃないから、こだわらずに次に行く。それは出来事でも人でも同じ。常に選択肢は
一つじゃないですからね。僕はフットワークをジグザクにして、常に視点をずらすことを意識する。そうすると、いろいろなことが見えてきます。ジャズにこだわっている部分もあるけど、音楽ができて、自分の価値観を信じて生きていけて、ハッピーを感じて、好きな人とつながる世界観がある。あいまいな価値観の中で、人と比べて、「ここじゃないどこかへ」って考えるのは禅問答。だって今日で地球が終わるかもしれない。だったら何を食べたい? 何やりたい? って考えて今日を生きて、それを明日、あさっても同じようにする。でも、それだけじゃつまらないから、半年後、1年後どうなっていたいか考える。

「ジャズはこうあるべき」「あなたは歌うべき」とかいわれるけど、僕は、僕自身のジャズの形を作ればいいと思っています。「これってジャズなの?」っていう不思議な形でも、「いいのいいの。『千里ジャズ』で。それを好きな人を増やせばいいんだから」っていう。

(*編集注)ルドルフ・ジュリアーニ=第112代ニューヨーク市長(在任期間: 1994〜2001年)。マフィア、警官の汚職取り締まりを徹底し、市内の犯罪率を半減させた実績を持つ。

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