【高校野球】選抜最多56勝&5回の優勝、春“最強”チーム東邦 歴代V5を振り返る

東邦が平成最後の選抜王者に輝いた

平成最初、平成最後の優勝を飾った東邦

 センバツ高校野球は、愛知県代表東邦高校の優勝で幕を閉じた。東邦は1934年に甲子園に初出場した名門だが、春の大会に非常に強いことで知られている。

○センバツ高校野球 勝利数10傑

1東邦(愛知県) 出30回56勝25敗1分 勝率.691 優5
2中京大中京(愛知県) 出30回55勝26敗0分 勝率.679 優4
3県岐阜商(岐阜県) 出28回48勝25敗1分 勝率.658 優3
3PL学園(大阪府) 出20回48勝17敗0分 勝率.738 優3
5龍谷大平安(京都府) 出41回42勝40敗1分 勝率.512 優1
6広陵(広島県) 出24回38勝21敗1分 勝率.644 優3
7高松商(香川県) 出27回37勝25敗0分 勝率.597 優2
8大体大浪商(大阪府) 出19回32勝17敗2分 勝率.653 優2
8報徳学園(兵庫県) 出21回32勝19敗0分 勝率.627 優2
10日大三(東京都) 出20回27勝19敗0分 勝率.587 優1
10智弁和歌山(和歌山県) 出13回27勝12敗0分 勝率.692 優1
10天理(奈良県) 出23回27勝22敗0分 勝率.551 優1

 同じ愛知県で宿命のライバルと言える中京大中京とは、勝利数、優勝回数で拮抗していたが、今回の優勝で、単独1位になった。東邦高校は、夏の甲子園(選手権大会)では出場17回、19勝17敗、勝利数は39位タイ。優勝はなく準優勝1回。春よりも大きく数字が下がる。

 これは、春が「選抜大会」であり、同じ愛知県から中京大中京と揃って選出されるケースが過去6回あったのに対し、「選手権大会」は、予選である愛知県大会で中京大中京を破らないと甲子園に出られなかったことが大きい。東邦は夏の甲子園ではわずかの差で出場を逃すケースが多かったのだ。

 中京大中京は夏の甲子園でも、歴代1位の78勝21敗、優勝7回を誇る。実力的には拮抗する東邦だが「代表は1県(地域)1校」という選手権大会のルールで、夏は春ほど活躍できていない。甲子園で優勝する実力がある学校が同じ地区に並び立つと、こういう現象が起こる。近年で言えば、大阪府の大阪桐蔭と履正社の関係も同様だ。

1934年は東邦商、初出場で初優勝を成し遂げた

 東邦高校の5回の優勝を振り返る。

○1934年 初出場
2回戦 東邦商3-0京都商
準々決 東邦商6-3明石中
準決 東邦商5-2海南中
決勝 東邦商2-1浪華商

 1947年までは東邦商。初出場で初優勝。2回戦の京都商戦では沢村栄治を攻略している。

○1939年 6年連続6回目
1回戦 東邦商20-1浪華商
2回戦 東邦商13-0海南中
準々決 東邦商13-1北神商
準決 東邦商6-1島田商
決勝 東邦商7-2岐阜商

 決勝まで猛打で圧倒した。この年の東邦商は、戦前最強チームの一つとされる。エースの松本貞一(のち木下貞一)は、のち阪神でプレーした。

○1941年 8年連続8回目
1回戦 東邦商2-1海草中
準々決 東邦商5-2海南中
準決勝 東邦商5-4熊本工
決勝 東邦商5-2一宮中

 戦前最後の春の甲子園。阪神などで活躍した玉置玉一(のち安居玉一)がエースだった。

 東邦商は、新学制となった1948年から東邦高校になっている。東邦は戦前3回も優勝したが、以後、48年間優勝とは無縁。1977年、1988年に決勝まで進んだが、戦後初の優勝は、平成最初の年だった。

○1989年 2年連続20回目
1回戦 東邦6-0別府羽室台
2回戦 東邦3-0報徳学園
準々決 東邦3X-2近大付
準決勝 東邦4-2京都西
決勝 東邦3X-2上宮

 サヨナラ勝ちが2回。決勝は元木大介(のち巨人)、種田仁(中日、横浜)を擁する上宮を延長10回、サヨナラで下した。優勝投手の山田喜久夫はのち中日などで活躍。

○2019年 2年連続30回目
1回戦 東邦3-1富岡西
2回戦 東邦12-2広陵
準々決 東邦7-2筑陽学園
準決勝 東邦4-2明石商
決勝 東邦6-0習志野

 初出場、戦前最後、平成最初、平成最後と、節目で優勝をしてきた東邦。令和最初の先達大会になる来年はどうなるだろうか。(広尾晃 / Koh Hiroo)

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