『カゲロボ』木皿泉著 あなたのすべてを「見守る」存在

 不思議な短編連作集だ。共通するのは、この一点。「主人公の変化と成長を、人間ではないかもしれない存在が、陰ながら見守っている」という設定。人間の体温とは対極にある、アンドロイド(的な何ものか)によって、温められてゆく主人公たちの物語だ。ただし、彼らが見守る相手というのが、実に木皿泉らしい。著者が見つめているのは、「いい」「悪い」とか「正しい」「間違っている」では分けきれない、グレーゾーンの機微である。

 たとえば、いじめ問題の渦中にある子どもたち。「カゲロボ」と噂される何ものかが見つめているのは、ここでは、いじめられている「弱者」ではない。いじめた側が追い詰められて負った傷。なんとなく加担してしまった、何者でもないクラスメイト。

 ひとり暮らしの70代女性は、自分の身に起きたことが、ほんとうに自分の身に起きたことなのか、確証が持てなくてふわふわと揺れる。親友と思っていた存在からの裏切りを受けて呆然とする彼女に、その何ものかは、「遅くまでおしゃべりに熱中できる夜」をひとつ、くれる。

 ガンでホスピスに入った女性は、人間ではないと自称するケアマネージャーに導かれ、自分の人生において一点の、「恋しい瞬間」を思い出す。神経質な母から「中2なのに生理が来ない」ことを理由に子育てを放棄された少女は、自分とそっくりに作られたアンドロイドと連れ立って、どちらがほんとうの自分なのか思い悩む。

 読み進めると、前に出てきた少年少女が、大人になって再登場する。自らの息子の姿に、かつての自分を重ねる父親。姉に対するコンプレックスにからめ取られ、傷ついて、もうこれ以上、姉の生きている世界では、一歩も動けないとしゃがみ込む女性。彼らが思い出すのは少年少女時代、ほんの一瞬すれ違った「カゲロボ」たちの記憶だ。

 そして何より胸に響くのは、彼と彼女は「カゲロボ」によってではなく、自分の力で光を見出し、自らを救い、次の一歩を歩き始める点である。

 抑制のきいた表現が、むしろ、読み手の胸を刺す。自分はこの世界を、この人生を生き抜くのだと、腹の底から決意してゆく主人公たちが愛おしい。「見守られている」というささやかな実感に、人は、思いのほか、救われているのだ。

(新潮社 1400円+税)=小川志津子

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