【歌舞伎町ロフト20周年記念特別鼎談】岡峰光舟(THE BACK HORN)×佐々木亮介(a flood of circle)×マーガレット廣井(八十八ヶ所巡礼)- 面白い奴らに出会える場所、それがロフト

バックホーンはテレビの向こう側の人たちだった

──歌舞伎町のロフトが移転20周年ということで、歌舞伎町ロフトと縁の深いみなさんに集まっていただきました。早速ですが、お互いに面識はあるんですか。

岡峰:面識はお互いにあります。でも3人で集まるってことはないですね。

廣井:この3人で話したってことはないですかね。

──珍しい機会なんですね。それぞれのバンドに対してどんなイメージを持っていますか。

廣井:バックホーンは高校生の頃からテレビの向こう側の人たちで…「初めての呼吸で」がテレビのCMやってたの覚えてますか?

岡峰:CMしてたんだ…。

廣井:してましたよ(笑)。「初めての呼吸で」って全開放で弾いてるんですか?

岡峰:それでもいけるね。

廣井:え、違うんですか?

岡峰:確かに上から順番に弾いていけばできる…。

廣井:こんなんで…って言ったら失礼ですけど、メジャーでこんなことできるんだ!? って衝撃でした。

岡峰:それでAメロまでは全部弾けるっていうね。

廣井:それが相当印象に残ってるし、今でもカラオケで唄いますよ。

佐々木:カラオケ行くの?

廣井:昨日も朝の5時までカラオケしてました(笑)。

岡峰:「初めての呼吸で」って後半けっこう絶叫だよね。

廣井:あの叫びが高校生のとき気持ち良くて。

佐々木:うちのドラムのナベちゃん(渡邊一丘)もカラオケに行ったら「幾千光年の孤独」を唄って絶叫してますね。

岡峰:いまだにカラオケ行ってるのはいいなぁ。

廣井:亮介君もフラッドで叫んでるじゃないですか。だから僕も負けじと叫んでるつもりなんです。このバンドは3組とも叫んでますよね。そんな印象です。

──光舟さんは?

岡峰:八十八ヶ所巡礼は一度ロフトでスペースシャワーTVのイベントで対バンして。

廣井:アルカラ、エイジファクトリー、バックホーン、八十八ヶ所巡礼ですね。

岡峰:3、4年前ですかね。トリッキーな印象は持ってますよ。フラッドとはもう10年くらいになるかな。一度、2007、8年くらいにシェルターでバックホーンのライブをやったことがあって、その時にフラッドが観に来てくれたね。

佐々木:そうですね。ロフトの一味としてファンより近いぞってところを見せようと思って(笑)。

岡峰:それで打ち上げで話して、笹塚くらいまで歩いたような…。

佐々木:ありましたね!

岡峰:下北沢から呑みながら幡ヶ谷、笹塚くらいまで一緒に帰りました。その頃から今までけっこう対バンしてますね。

佐々木:毎年、絶対会ってますからね。

岡峰:呼んでくれたり、俺らのイベントに出てくれたりね。

──光舟さんはけっこうな先輩なんですか。

佐々木:大先輩ですね。それこそ俺が高校の頃、周りはバックホーンのコピバンばっかりだったんですよ。俺ら江戸川区の高校だったんで、下北沢のハイラインレコードまで行くのがちょっとしたステータスだったんです。そこで新譜を買ってきて、誰が一番早くコピーできるか勝負みたいな(笑)。

──バックホーンのアルバムで言うと、どれくらいの時期ですか。

佐々木:いつだろう…でも本当に一番最初のデビューの時からですね。2001年とかかな、俺が15歳の時なんで。

──八八の印象はどうですか?

佐々木:お台場でやってる『ムロフェス』で初めて観たんですけど、室(清登)さんの趣味的に爽やかなギター・ロックみたいなバンドが多いなかで…俺、スティーヴ・ヴァイが大好きで、スティーヴ・ヴァイみたいな奴がいたんですごい浮いてて(笑)。最初はそういう見た目から入ったんだけど、ライブが始まったら音も格好良くて。と思ったら、うちのベースのHISAYO姐さんと知り合いで。

廣井:そうですよ、そのとき初めて亮介君と会いました。

佐々木:そうそう。でもやっぱり、話しかけちゃいけない感じがあって。

岡峰:そんな雰囲気あるの?

佐々木:ありますよ。3人ともそうだから(笑)。格好いいなと思いつつ、俺がわざわざ話しかけるつもりじゃなかったっていうのもあったけど(笑)。でも、姐さんが知り合いだって言うもんだから。

廣井:tokyo pinsalocksと八八が一緒にやったこともあったんですよ。しかも大塚のオレンジスタジオを共に使ってて。それで知り合いました。

佐々木:それから何年か経っちゃいましたけど、ツアーで誰を対バンに呼ぼう? と考えた時に、八八はみんな好きだったんでここで呼ぼうってことになりました。

AFOCの歴史からロフトは絶対切り離せない

──光舟さんはかつてロフトで働いていたり、フラッドはロフトのレーベルからリリースしていたり、マーガレットさんはいつもロフトでワンマンをやってくれたり、それぞれロフトとのつながりが強いですが、ロフトのステージに初めて立った時の感想やそれまでロフトに対して抱いていた印象を聞かせてください。八十八ヶ所巡礼は僕がロフトに入った時にはすでにワンマンをしていましたが、初めて出たのはいつくらいですか。

廣井:もう5年くらいは八月八日と八月十八日にワンマンをやらせてもらってるんですけど、初めて出たのは昼のイベントだったような気がするんですよ。Schloderっていう神戸のバンドとかと。人が全然入ってないイベントでしたね(笑)。

──それまでのロフトの印象は?

廣井:僕は四国の出で田舎者なんで、東京のライブハウスなんてわからないし、イメージとか全くなかったですね。ライブできる場所があればいい、くらいにしか。失礼ですけど憧れとかはなかったです(笑)。それよりシェルターのほうが憧れはありました。アジカンもイースタンユースもやってるし、っていうイメージで。有名なバンドはみなシェルターでやってると思ってて、不思議なものでロフトの印象はなかったです。

──光舟さんのロフト初ライブはバックホーンですか。

岡峰:初めてやったのはバックホーンじゃなくて…前の小滝橋のほうのロフトは高校の友達と出たことがあったり、歌舞伎町に移ってからもロフトの店員と組んだバンドで出たりして。バックホーンは2001年の3月からサポートをやり出したんですけど、4月にすぐメジャー・デビューだったんですよ。その『サニー』のレコ発がロフトであって。なので、ちゃんとしたライブをやったのはそれが最初ですかね。なぜかわからないけど、メジャー・デビューして最初のライブなのにアコースティック・セットみたいなことをやっちゃって(笑)。ライブの途中で急に椅子に座り出して、エレキのまま2曲くらいやった思い出があります。それ以降、よく出ましたね。イベントでもワンマンでも何回もやりました。

──アルバイトとしてロフトに入ったということは、それまでロフトのことはけっこう知っていたんですか。

岡峰:1998年に高校を卒業して大学生として上京したんですけど、バイトしなきゃいけないなって時期でもあって。西新宿は当時レコード屋も多くて、そういう所でメタルのブートレッグを漁ってる時に新宿ロフトってのが目に入って。俺も広島の田舎者だったから名前くらいしか聞いたことがなかったんですけど、「アルバイト募集」って書いてあったんでそのまま階段を下りていって、そのままバイトするようになりましたね。

──歌舞伎町に移転してからもずっと働いていたんですか。

岡峰:そうですね。バックホーンをやり始めた2001年まではバイトしてました。ちょっと長めのツアーに出るってタイミングでやめたんですけど。

──亮介さんの初ロフトは?

佐々木:高校生の時、初めて来たライブハウスがロフトだったんですよね。GREAT ADVENTUREとNATSUMENが観たくて来て、そこに出てたriddim saunterに衝撃を受けたり。バンドを始めて憧れがどうこうっていうのは最初なかったですけど…俺らは2006年からやってるんですけど、最初はシェルターにずっと出てたんですよ。そのうちロフトにも出たいなと思って電話してみたら、当時の店長だった大塚(智昭)さんが出て、音源を渡して出させてもらうようになりました。

──フラッドがロフトのレーベルからリリースすることになったのはどういう流れだったんですか。

佐々木:最初はシェルターの店長だった西村(仁志)さんの紹介もあってソニーの新人部門の人と会ったり、ワーナーにもそういう人がいたんですけど、ロフトが上手かったのは「あいつらは『1年は育てる』とか言うけど、うちならすぐにCDが出せる」と言ってくれたことですね(笑)。それで騙されて(笑)。俺、スピッツが大好きで、スピッツもインディの時にロフトのレーベルから出してる(『ヒバリのこころ』)っていうのもあって決めました。

── 一緒にやってみて良かったですか。

佐々木:良かったと思いたいですね(笑)。ケンカ別れってことでもないし、俺らが離れることになった時、ロフトのレーベルも一度なくなったんですよね。その後、スピードスターレコーズへ行く流れを作ってくれたのもロフトだったし、その後もよくライブをやっているので、a flood of circleの歴史からロフトは絶対切り離せないし、感謝してますね。

ロフトがなければバックホーンにはいなかった

──光舟さんがアルバイトをしていた頃のロフトはどんな雰囲気だったんですか。

岡峰:小滝橋のロフトで働き出したのが1998年の5月くらいで、一旦閉店したのが1999年の3月なんですよ。それで歌舞伎町ロフトが4月に始まったんですけど、そこで店員がガラッと変わって。前のロフトの先輩たちは、俺たちのロフトの歴史は小滝橋までで完結かなってやめていって。歌舞伎町に移った時、当時の小滝橋からそのまま移った人は2人か3人くらいしかいなかったんです。バイト歴1年くらいの当時18歳くらいの若者が、新しく入ってくる年齢は上の人たちに仕事を教えるっていう謎の期間がありましたね。多分向こうはすごい腹立ってたと思うんですけど(笑)。

佐々木:やりにくいったらないですね(笑)。

岡峰:20代半ばくらいの人が、18、9歳くらいの奴に飯の作り方やら何やらを教わってね(笑)。

──その当時から名物のオムライスはフード・メニューとしてあったんですか。

岡峰:ありましたね。いまスペースシャワーTVで働いてる中村(眞一郎)さんが当時ロフトプラスワンで働いてて、ロフトが歌舞伎町に移る時に厨房として入ったんですよ。その時にオムそばとかオムライスがありましたね。小滝橋の時は打ち上げ用のメニューをしっかり作るっていうよりは冷凍食品とかにちょっと手を加える程度だったんですけど、歌舞伎町に移ってからは冷凍食品がほぼなくなって、打ち上げでもバーでもフードを出せるようになりましたね。

廣井:こんな事細かにロフトの裏側が語られることも珍しいですね(笑)。

──八十八ヶ所巡礼は毎年ロフトでワンマンをやっていますが、ロフトをホームにするこだわりがあれば聞かせてください。

廣井:僕らの身の丈に合ってるんじゃないですか?(笑) おこがましい話ですけど、この5年、上がりも下がりもせず平坦なままここでお世話になっていて、そうなると居心地がいいんです。だから特に何も思ってないと言うか。歌舞伎町って秩序がないじゃないですか。それで今日の取材も遅刻してしまうし、歌舞伎町なら許されるんじゃないかと思ってる節があって。さっきロフトの近くでウサギを放してるおじさんがいたんですよ。それに目を奪われてしまって。でもそんなことって社会じゃ許されないですよね。だから自由で素敵な場所だなって思ってますよ。ロフトは汚い所だし、ちょっとくらい汚しても許されると言うか、楽屋も最悪じゃないですか。どこに何を書いてもわからないし。そういうところが居心地がいいです。

──新宿ロフトで印象に残っている思い出は?

佐々木:イマイアキノブさんと出会ったのが、俺らがロフトのレーベルと一緒にやってる頃だったんですよね。確か『URASUJI.』だったと思うんですけど、イマイさんがDJをやっていて。イマイさんがちょうどバースデイをやめた時くらいで、「二度とギターは弾かない」みたいなことも言ってて(笑)。「俺はもう天井だけ見て暮らす」とか(笑)。その時に仲良くなって「今度一緒にやろうよ」って話になって。それから一緒に演奏したり、イマイさんのレコーディングに参加したり。仲良いミュージシャンは? って訊かれたら「イマイさん」って答えるくらい仲良いんですけど。

廣井:イマイさん、最近どこかでギターをなくしてませんでした?

佐々木:あの人はなかなかだからね(笑)。意味わからないコラージュとか突然送ってきたり。今朝も8件くらい何か送られてきたけど、まだ開けてない(笑)。

岡峰:開けてないんだ(笑)。

佐々木:寝かせてます(笑)。ロフトは先輩が多いじゃないですか。仲野茂さんもそうだし、大江慎也さんの誕生日のライブに出たこともあったし。そういう顔が怖い系の人たちと会うのはいつもロフトですね(笑)。夏の野外フェスとかに出ても、そういう人たちとは絶対出会いませんから。

岡峰:太陽の下では絶対会えないタイプのね(笑)。

佐々木:それが面白いし好きだし、ロフトならではですよね。

岡峰:俺はロフトでバックホーンと出会ってますからね。カウンターで夜の仕事をしてる頃、まだ前のベースがいる時のライブをやっていて。当時のマネージャーと当時のロフト店長の東田(慎二)さんがカウンターで「ベースがやめることになって大変なんだよ」って話していた時に、東田さんが「こいつベースやってるよ」って紹介された縁でオーディションを受けて今に至るんで。ここがないとバックホーンにはいないだろうし。その日シフトに入ってなかったら、よそで飯でも食ってたらこういうことにはなってないし。そこから18年くらい、けっこうな人生を変えてもらった所ですね。働いていた時の思い出もあるし、バンドでもいろいろありますけど、やっぱりその出会いが一番デカいですね。

ゴールデン街からコパボウルに流れる定番コース

──マーガレットさんは?

廣井:あ、質問なんでしたっけ?(笑)

──ロフトで印象に残っているエピソードは? ですね(笑)。

廣井:初めてここでワンマンをやった時の担当が、当時ブッキングをしていたモッチー(望月慎之輔)だったんですね。で、モッチーは必ず打ち上げに出てくれるんですよ。最初の頃はモッチーと呑むためにワンマンをやってたみたいなところがあって(笑)。八月八日がワンマンで、うちのドラムが八月九日が誕生日で、絶対そのお祝いをするって言ってくれて。僕らメンバー全員、人の誕生日を祝うのが嫌いなんですね。でも、ロフトのおかげで人の誕生日を祝うのも面白いなと思ったり。モッチーがテキーラを出してくれるんですよ。ビアバスターかな、ビールにテキーラを落としたやつ。それを呑んでみんなゲロ吐いてるんですよ。それを3年くらい続けて。その印象ですね。床でちょっとゲロ吐いても怒られない…まぁさすがに怒られたんですけど(笑)、ちょっとくらいなら大丈夫…。

──個人的な質問なんですが、歌舞伎町でよく行く店はありますか。

佐々木:ゴールデン街でよく呑んでるんですよ。それで一時期、イマイさんたちと盛り上がったら朝の3時か4時くらいに必ずボウリング場へ行ってました。コパボウルにブラックライトだけのレーンがあるんです。全部暗くて、本当にチャラいパーティ野郎しかいない所に革ジャンの軍団が行くんですよ(笑)。あそこはいいですね。明るく健康的なボウリング場じゃなくて暗いんです。すごくチャラいですね。

──それ、上手く投げられるんですか?

佐々木:まぁ酔っぱらってるんで(笑)。楽しさだけ残って、記録は残らないです(笑)。

岡峰:俺もボウリングはめっちゃ行ったな。それこそバックホーンのメンバーと。

佐々木:みんな上手そうだなぁ。

岡峰:山田(将司)はすごい上手いんだよ。俺は一度、ボウリング場にベースを忘れて帰ったんだけど全然気づかなくて(笑)。ボウリング・ブームだったから次の日も行ったら、店員さんに「ベース忘れてますよ」と言われて気づくっていうね。練習もせずにやってたね。そういうのもありつつ、働いてる時はよく屯ちんに行きましたね。最近はロフトに来るか、メタルバーのFROM DUSK TILL DAWNに行ったりとか。あそこはUNITEDの横山(明裕)さんがやってて、亡くなってからもたまに行ってて。そこでキツい酒を呑んでベロベロになるか、ゴールデン街に行くかですね。でもロフトが一番多いですかね。

廣井:僕は…本当に歌舞伎町はパチスロくらいしか行ってないですね。中野なんで、こっちまで呑みに来ることがないんですよ。

岡峰:ロフトでライブやったらそのままロフトから出ない?

廣井:出ないですね。わき目も振らず…集中です。

──みなさんツアーも多いと思いますが、これが美味しかったなぁ…みたいなものはありますか?

佐々木:ロフトの話でも歌舞伎町の話でもないんですか?(笑)

──すみません、個人的な質問で…。

岡峰:そんなグルメみたいなことする?

佐々木:イベンターの人が気を利かせてくれて、ちょっといい店に連れていってくれるくらいですかね。

廣井:地方はイベンターご用達みたいな店があるじゃないですか。僕らはイベンターが入ってないんで、なんで一瞬しか活動してないバンドのサインがあるんだろう? とか気になっちゃいますね。

岡峰:そういうのが気になるんだ?(笑)

廣井:なんか悪口みたいになっちゃいますけど、めちゃくちゃ平均的なとこに連れていかれますよね?

佐々木:人によるかな。

廣井:すごいグルメな人とか?

佐々木:と言うか、ワンマンとかだと人も少ないから、小さめのいい感じの店に連れていかれたり。

廣井:そういうのいいですね。

佐々木:先週、仙台に行ってたんですけど、セリっていう野菜の鍋、煮物みたいなのがあって美味しかったですね。

廣井:セリって七草のですか?

佐々木:多分そうじゃない? 仙台の名物らしくて。根っこもついてて、一瞬「雑草じゃないの?」って思ったけど美味しかったです。

ロフトにいる面白い人たちに頭をリセットされる

──光舟さんはそういうのないですか?

岡峰:美味しい所もたくさんあるんですけど、地元の高校生が行ってるような定食屋も好きなんですよ。逆にツアーに行ってる時こそココイチとかに行きたくなることもありますしね。でもココイチに行くと、たいがいマツ(松田晋二)の後ろ姿が見えるから外すけど(笑)。

佐々木:リズム隊の波長が合っちゃってるじゃないですか(笑)。

岡峰:ライブ以外の時間は各々の時間が欲しいしね(笑)。

廣井:僕は広島でライブすると、はなまるうどんによく行くんですよね。

──東京と違うんですか?

廣井:以前、新宿のコールセンターで夜勤のバイトをしてたんですけど、夜、仕事に行く前や朝上がってから必ずはなまるうどんを食べてたんです。昔は105円だったんで。もう東京では食べたくないと思いつつも、地方に行って近くにあれば仕事前に食べたくなるって刷り込みがあるんですよ。

岡峰:四国のどこ出身なの?

廣井:愛媛です。四国には大介うどんっていう何玉入れても値段が変わらないうどん屋があるんですよ。だから汁が入らなくなるまで麺を入れて、汁をちょい入れて食べてましたね。

岡峰:そういう話が聞きたかったんじゃないの?

──そうですね(笑)。

廣井:そうか、大介うどんって言えば良かったんですね。

──最後の質問ですが、みなさんにとって新宿ロフトとはどういう場所ですか。

廣井:最新の印象でいいですか?

──もちろんです。

廣井:僕、昨日聞いたんですよ。今日インタビューがあるって。「記念のTシャツを着て撮影します」とか言われて。やっぱり秩序がないですよね、ここは(笑)。

岡峰:もうちょっと前に話はあったんだと思うよ(笑)。

廣井:そうですよね、うちのマネージャーの感覚がおかしいんですよね。

佐々木:この質問からまさかマネージャーの悪口になるとはね(笑)。名言っぽいことを言うのかなと思ったら(笑)。

岡峰:毎回、来るたびに懐かしさもあるんですけどね。久々に歌舞伎町へ来ると、よくこんな怖い街で働いてたなと思ったり、やっぱり無秩序だったり。昼間から頭のおかしい感じもあるじゃないですか(笑)。去年はロフトでPVを撮ったり、20周年ツアーの初日もやったし、そういう意味では懐かしさもありつつ今この時点でも更新し続けてるんで。いつも話題には上がりますよね。ツアーとかライブがあったら、ロフト、シェルターはやっぱりいいなってなりますし。またイベントがあったら呼んでください。

佐々木:いつも思うのは、いつ来ても面白い人がいるのでリセットされる気がしますよね。悩んでることとか考えすぎてることとかがどうでも良くなることも多くて。それこそ仲野茂さんとか諸先輩方と話してると、本当にバカバカしいことで悩んでたな…って思うことが多いんですよ。そういうのって、曲を作る時に一番大事な感覚なような気がしていて。常識にとらわれていたらすごいつまらないものしかできなくなるし、つまらない歌しか書けなくなってくる。そういう時に「ああ、それ真実だな」って気づかせてくれる人がロフトにはたくさんいますよね。来るとだいたい面白い奴がいるところが好きなので今でも来てるって感じですかね。

高橋ヒロシ×新宿ロフトコラボグッズ

歌舞伎町ロフト20周年のキー・ヴィジュアルは『クローズ』『WORST』で知られる漫画家の高橋ヒロシ先生が担当! ロフトへのメッセージが到着!

「今から30数年前、オレは福島の会津から、高校を卒業してすぐ東京へと出てきた。東京タワー、国会議事堂、上野動物園……そんなものより何より、絶対に行きたい場所があった。それが新宿ロフトだ。はじめて足を踏み入れた時は緊張したわ〜。特別な場所なんですよ。移転20周年おめでとうございます。これからも変わらずそこに在り続けて下さい」(高橋ヒロシ/漫画家)

高橋ヒロシ先生が描き下ろした歌舞伎町ロフト20周年記念Tシャツ、ロフト店頭ほかにて絶賛発売中!

サイズ:S / M / L / XL

価格:3,500円(税込)

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