志村けんが中居正広に涙ながらに告白、師匠・いかりや長介への思い

TBS系で4月5日放送の「中居正広のキンスマスペシャル」(金曜午後8:57)に志村けんがゲスト出演し、MCの中居正広に師匠・いかりや長介への思いを涙ながらに告白する。

番組では、素で出演するのが苦手で、表舞台で自身を語ることはほとんどなかった志村が生い立ちから現在に至るまでの軌跡を語り、コメディアンを目指したきっかけ、教員をしていた厳格な父親の存在、いかりや長介との出会いとザ・ドリフターズへの加入などを振り返る。

コメディアンを目指したのは、小学校3年生の時の運動会がきっかけ。徒競走のスタート直前に便意を催して「うんこ垂らし」と呼ばれるようになり、イメージを払拭(ふっしょく)するために酔っ払いネタを披露し、クラスのひょうきんものを演じるように。志村は「人を笑わせるって気持ちいい!」と“お笑い魂”が目覚めたことを打ち明ける。さらに、厳格だった父親がテレビで流れる「雲の上団五郎一座」を見て笑う姿を見て、コメディアンになりたいという思いが大きくなったが、後に父親を悲劇が襲うことに。

お笑いの世界に飛び込もうとした志村だったが、当時はお笑いの養成所はなく、デビューするには師匠に「弟子入り」するか「付き人」しかなかった。いかりやの自宅を突き止め、雪の中で12時間も待ち続けて弟子入りを志願。ようやく会えたいかりやから「辞めそうなヤツがいるから、そいつが辞めたら連絡する」と言われ、ひたすら待つ日々が続く。

そして、突然の連絡から付き人になり、脱退した荒井注の代わりに“見習い志村”として「8時だョ!全員集合」へ出演。何げなく歌った「東村山音頭」が大ウケ、「カラスの勝手でしょ」などヒットギャグも誕生し、一大ブームを築いたドリフ黄金期を語る。50年にわたりお笑い界のトップを走り続け、69歳になった今も舞台に上がり続ける志村は、その原動力は「舞台が好き」だと言い切る。

番組ではいかりやの息子にも話を聞き、ドリフターズ時代などのVTRを振り返った志村が涙を流す場面も。MCの中居から「初めて聞く話もあったかと思いますが、志村さんにとっていかりや長介さんとはどんな人?」と問われ、涙ながらに明かす言葉とは。平成の最後に自身を語り明かす志村の姿が見どころだ。

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