公開〝自粛〟は誰のため?  ピエール瀧被告巡り、芸能界

東京都中央区の映画館に貼られた「麻雀放浪記2020」のポスター

 俳優でミュージシャンのピエール瀧容疑者が、コカインを使用した麻薬取締法違反の罪で起訴された。世間の関心は既に「新元号」や「10連休」へと移ったのか、新聞各紙の記事の扱いは小さかったが、所属事務所からも契約を解除された本人にとっては、ここからが長く険しい道のりになるのだろう。個性派俳優として引っ張りだこだった彼は、このまま表舞台から姿を消してしまうのだろうか。

 3月12日の瀧被告の逮捕はワイドショーで連日トップニュースとなり、新聞もコカインの吸引に使っていたとみられる紙幣が押収されたことなどを続報で報じた。芸能界はこれに素早く反応。テレビ番組の放送中止やCDの出荷停止が次々と表明され、NHKも大河ドラマの出演シーンをカットすることを発表した。2月に俳優の新井浩文被告が強制性交罪で起訴された事件も同じだったが、過去の作品までもが一斉に封じられるのは、まるで一方的なオセロのゲームを見ているかのようで、少し異様に思えた。

 そんな中、東映が瀧被告の出演映画「麻雀放浪記2020」について、一切の編集をせず予定通り公開する判断をしたことは、それまでの流れに一石を投じるものだったと言っていい。

 そもそも、出演作の公開を〝自粛〟する動きを、誰が主導しているのかは、傍目から見ていてもよく分からない。法律はもちろん、業界としての明確なガイドラインがある訳でもなく、配給元やテレビ局が各社のコンプライアンスに基づいて決定しているのが現状だからだ。映画の場合、近年は出資企業から製作費を募る「制作委員会方式」が主流になっているため、意思決定の過程はさらに複雑になる。基準があいまいな上、視聴者や観客からすれば完全なブラックボックスだ。

 映画公開を発表した東映の多田憲之社長は記者会見で、制作委員会では「議論百出だった」と明かした。何度も話し合いをもったが完全な合意が得られた訳ではなく、「公開日が迫る中、配給を受け持つ会社の責任として公開するという強い意志を持って」結論を出したといい、「少々株価が落ちることも覚悟している」と、ギリギリの決断であることをにじませた。

 記者会見と同じ日に、個別インタビューに応じてくれた「麻雀放浪記2020」の白石和彌監督の言葉も切実だった。

 「こういう苦情がくるんじゃないか、という想定でみんな動いて、『一体誰と闘っているのかわからない』と現場ではみんなが言っていた。表現する上で苦しいことが増えているのは、この作品に限ったことではなく、世の中全体の流れではないですか」

 ディズニー映画「アナと雪の女王」でも声優を務めていた瀧被告の逮捕に、「子どもにどう説明していいか分からない」とコメントした人がいたことに触れ、「本人がやめたいと思っていてもやめられない薬物の怖さを説明するのが教育の、親の務めなんじゃないか」という言葉には筆者もハッとさせられた。

 犯罪を描いた作品を封じたところで、犯罪そのものがなくなる訳では決してない。4月12日公開の「ビューティフル・ボーイ」という米国映画は、重度の薬物依存に陥った青年と彼の父親が、再生に向け闘う物語。実話を基に、薬物の恐ろしさがリアルに描写されており、胸が苦しくなるほど。ただ、印象的なのは主人公の青年を家族やカウンセラーが決して見捨てないことだ。

 瀧被告がどれほど常習的に薬物を使用していたかはまだ明らかになっていないが、彼にも依存から抜け出すための治療が必要なことはほぼ間違いないだろう。
だが、そうした側面に焦点を当てた報道は少なかった。必要なのは犯罪を「見えなくする」ことや、犯罪者を社会から締め出すことではなく、どうすればそれを防げるか、そのつど皆で考えることではないだろうか。 (共同通信=安藤涼子)

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