いつかのハタ揚げ

 えっ?と思わせる書き出しがうまい、と1年前、本紙「声」欄からここに引いた。長崎市の花田泰治さん(68)の投稿は〈小学6年生の私は頻繁にキャバレー通いをしていた〉と始まる▲今は亡きお父さまは昔、長崎市の繁華街にあった「銀馬車」の事務長で、花田さんは少年の頃、よく使いに呼ばれた。書き出しはそういう意味で、文はこう続く。長崎市の唐八景でのハタ揚げ大会では酒宴があり〈「銀馬車」と書かれたハタで合戦に興じた〉と▲お父さまの美康(よしやす)さんは8ミリフィルム撮影が趣味で、1962年に「肥前長崎ハタげんか」の題で23分の映像を残していたという。花田さんの投稿を引いた小欄を読んだ方が、その映像をDVDにしたものを送ってくださった▲改めて映像を見てみる。ハタ合戦に夢中の人々を映すが、「何だろう?」と思う映像もある。ヨマ(揚げ糸)を切られ、落ちてきたハタに子どもが群がっている▲その時代、春になると子どもたちはハタを揚げて遊び、ビードロ(ガラス粉)の付いたヨマをこぞって欲しがったと、花田さんは往時を懐かしむ。「部屋にこもって映写機を回し、フィルムを切ってはつなぐ父の姿も浮かびます」▲映像から半世紀を超えるきょう、長崎ハタ揚げ大会がある。ヨマを探し、いつかの春を探すのもまた一興。(徹)

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