東区・地域力向上事業デジタルアーカイブ記念特集

静岡県浜松市 広報はままつ 東区民のページ2019年4月号

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〜わが町(まち)文化誌からふるさとを読み解く〜
第十二回「わがまち文化誌 袖紫ヶ森(そでしがもり)」より
「厄除岩戸観音(やくよけいわとかんのん)と安産子安地蔵のいわれ」より抜粋

「よしあしも 岩戸もここに上あらや 慈悲の深きに 浮かぶ池上」と、観音御詠歌(ごえいか)に詠まれている江戸時代建立の観音堂が、上新屋町の宝珠寺(ほうしゅうじ)に位牌堂を兼ねて残されている。
天井に花鳥木・日常用具の絵、欅(けやき)造りの須弥壇(しゅみだん)等に建立当時の様子が残り保存されている。

七代前の壇梁禅棟和尚(だんりょうぜんとうおしょう)は、大本山方広寺の住職や中本山大通院の住職を四度も務めた徳の高い方である。壇梁和尚は、この岩戸観音様を深く信仰し、観音像を背負って托鉢(たくはつ)をし、浄財を集めて荘厳な観音堂を建て厚くおまつりをしていた。

あるとき、観音様のところに目の見えない人や足の不自由な方が一心に祈願を込めて、お参りを続けていた。すると、目が見えるようになったと言う。また、足の痛みが取れて歩けるように治ったと言うことである。このことからも、いっそう近隣の人たちの信仰を受けた。

戦前までは、毎月十七日にはお供養があって、近隣の念仏講(ねんぶつこう)の信者により御詠歌がうたわれ、子供たちには供えられたお菓子が分けられて大変楽しみだったと言う。十一月十七日は、総供養の日で多くの和尚さんが見えて太鼓を鳴らしたご祈禱(きとう)があった。
まだ農家が多かったころには、「お観音様の日までには稲刈りをすませたいものだ」と農作業の区切りを付けていたと言う。

今は、十一月十七日前の日曜日に、古くからの仏具・書画等の寺宝展を催し、観音大祭としておまつりを続けている。
また、本堂の中央の本尊「子安地蔵菩薩(こやすじぞうぼさつ)」は、昔から安産・子育ての仏さまとして「子安様」と親しまれ、安産祈願のお礼を遠方の信者たちも受けに来ている。
昔は、七月十四日に近隣の人が子安地蔵菩薩と書いた大提灯(ちょうちん)をいくつかつるして、お盆の供養とともにおまいりをした。

今は、八月二十四日近くの日曜日に町内の子供たちとともに、お地蔵様の総供養をしている。子供たちは一週間ほど座禅をし、この日は流しそーめんをいただくのを楽しみにしている。

※原文のまま掲載しています。

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