マラソンが突破口に 選手増えたが指導者は?

平成の女性史(5)スポーツ

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江刺昭子

女性史研究者

江刺昭子

女性史研究者

えさし・あきこ 広島市出身、早大卒。原爆作家・大田洋子の評伝「草饐(くさずえ)」で田村俊子賞。著書に「女のくせに 草分けの女性新聞記者たち」「樺美智子 聖少女伝説」など多数。

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第1回東京国際女子マラソン。真ん中が優勝したジョイス・スミスさん

 干刈あがた(1943~92)という作家がいた。男性優位の社会で「おんなこども」とひとくくりにされる母子の、日常にありふれている物語を得意にした。代表作に84年刊の『ゆっくり東京女子マラソン』がある。

 小学校のPTA役員の母親5人が、担任教師の産休問題から始まったクラスのもめ事を、話し合いを重ねながら解決する。キャリアウーマンは1人もいない。どこにでもいる母親たちがゆるやかに横につながりながら、自分を発見し、自立していく。ゆっくりと地盤が動くように女たちが変わっていった時代を描いた作品だ。

 物語の終盤、母親たちは第2回東京国際女子マラソンをテレビ観戦する。外国勢が上位を占める中、日本人選手が懸命に追う。母親が息子に言う。

 「ほら、足を踏み出すたびにふくらはぎがキュッと緊ってまたゆるむ。今、彼女の肉体が解放されているのよ。彼女は自分のためだけに走ってるんじゃないわ。見ている女たちぜんぶ、自分をつくった日本の女の歴史ぜんぶを解放するために走ってるのよ。女の底力の強さ、美しさをよく見て」

 東京国際女子マラソンは、1979年に世界で初めて国際陸上競技連盟公認の女子マラソン大会として誕生した。以後、2008年までの30年間、東京の真ん中を女たちが走り抜けた。

 ▽女子に42キロはとんでもない

 初代女王は2児の母で42歳のジョイス・スミス(英国)、日本人トップで7位入賞の村本みのるも3人の子持ちで37歳の市民ランナーだった。トップアスリートが秒単位の速さを競う今とは違い、時間がのんびりと流れていて、どのドリンクにしようか、足を止めて迷っている選手もいた。優勝記録は2時間37分48秒、いま世界のトップを争うなら2時間20分を切らなければならない。

 長いあいだ、女子が42.195㌔を走るなんて、とんでもないと言われてきた。女が人前で足を出すなんて、はしたないと言われた時代さえあった。女子マラソンはそれにあらがう挑戦だった。

 第1回の東京女子マラソンの翌80年、モスクワ五輪の女子陸上の最長種目は1500メートルだったが、84年のロサンゼルス五輪でマラソンが正式種目になった。その後、5000メートル、1万メートルと、男子と同じ種目が採用された。流れを加速したのは東京国際女子マラソンだと言われている。

 陸上競技だけでなく、柔道、サッカー、レスリングなど五輪の女子種目の増加にもつながった。平成年間の女子スポーツの歩みは、女性の社会進出、職域の拡大、権利獲得の流れとも重なる。颯爽(さっそう)と走っている姿から勇気をもらった女性も多いはずだ。

 ▽「弱い性」という通念破る

 夏の五輪の日本参加選手数と女子の割合を調べた。1928年アムステルダム大会は男子42人で女子は人見絹枝1人。戦後の52年ヘルシンキ大会は72人中、女子11人(15%)に増える。64年の東京五輪は355人中61人(17%)。このとき女子バレーボールチームが、虐待ではないかと批判されるほどのハードなトレーニングに耐えて優勝したことが、女性は「弱い性」であるという通念を打ち破ったとされる。

 その後の高度経済成長で余暇時間が増えたこともあって、女子のスポーツ参加が広がる。大きく飛躍したのは平成に入ってから。96年アトランタ大会で310人中150人(48.4%)と半数に迫り、2004年アテネ大会は313人中171人(54.6%)で男性を上回った。ソフトボールやサッカー、ホッケーといったチーム競技で出場権を獲得したことによる。以後の北京、ロンドン大会でも女性は半数を超え、参加人数でみる限り、男女平等は達成されたといっていい。

 しかし、スポーツ組織で意思決定にかかわる立場の女性はまだ少数派。18年10月の調査では都道府県を含めた日本スポーツ協会加盟117団体の女性役員の割合は11.2%。16年の9.7%からわずかしか増えていない。剣道や軟式野球など女性役員ゼロの協議団体も6団体あるという(『朝日新聞』2019年3月8日)。これは、政治や経済界の意思決定の場に女性参加が遅れているのと同じ現象といえる。

 指導者としてもあまり機会を与えられていない。女性コーチは子どもや初心者の指導に集中し、トップレベルの選手のコーチは圧倒的に男性である。

 中高生の女性アスリートが増える中、無月経による疲労骨折などのトラブルが多いという。指導者が女性の体についてよく知らず、無理な体重制限を課すことなどが原因とされる。

 女子選手が競技から退くのは結婚や出産というライフイベントを機に、という場合が多い。結婚も出産もしていいんだよという指導者が身近にいて、授乳や託児などのサポート態勢が整えば、女子選手はもっと長く輝き続けられるはずだ。

 ▽勝者への礼賛に傾く

 先に引用した『ゆっくり東京女子マラソン』のゴール風景。

 「最終ランナーの後姿をカメラが映し出した。大勢の女たちがそれぞれの走法で走って行った道を、もう走る力もつきてトボトボと、それでも脚を休めずに前に向って歩いていく。イチョウの葉が彼女の頭上に黄金色に輝いている。洋子はゴールに姿を見せなかった何人かの人のことを考えていた。」

 作家の目は敗者に向けられる。努力の結果、栄冠を手にした人が多くのものを得るのは当然だが、昨今のメディアは勝者への礼賛に傾きすぎていないか。

 多くの人が参加し、スポーツの裾野が広がることが、頂点に立つアスリートたちを支える。また、参加者たち自身の身体的健康にも寄与するだろう。頑張ったけれど目標に届かなかった人、途中棄権した人にも大きな拍手を送りたい。

 それは競技スポーツを一握りのスポーツエリートのものにせず、みんなのものにしていくことに、男女を問わず開かれたものにすることに、つながるはずだ。(女性史研究者・江刺昭子)